イエスは神である
M様:2003年の「反三位一体論は異端である」の内容に関して教えて下さい。
<神のレプリカである人間において、「対自関係」「対他関係」があるならば、当然、神にもそれらがあるはずである>と書かれてあります。この場合の「人間」は個人であると解されて然りだと思います。
人が神のかたちに似せて造られたというのは、神格に対応する人格を持つ存在として造られたということであり、人は(多重人格者でもない限り、基本的に)一人格であるように、神も一人格ということになります。
それで神は対他関係があるのか?と言えば、ふれておられますが被造物が神の愛する他者です。特にイエスです。彼は普通の人間です。被造物です。でも神から選ばれ、特に愛されて啓示者として立てられた者です。
ということで、神と人とは、お互いに人格が一つだから「我―汝」の関係を結ぶのであり、神が三人格でなければならない理由などないと思うのですが・・・?
tomi:
被造物が創造される以前、神だけがおられたので、神に愛の属性があるとすれば、神は他者を必要とするということになってしまい、自存性が崩れます。
神は完全、絶対であると啓示されていますので、神には他者が必要ありません。そのため、神には人格が複数あります。3者が互いの間で社会を形成し、完全に自己充足しており、被造物は一切必要がないのです。
イエスは、単なる被造物ではありません。
イエスは、神の第2位格が受肉した存在であり、神であると同時に人間です。
イエスが、神でなければ、イエスの死は、無数の人間を救う根拠にはなりませんので、この世界から救いが消えます。
単なる善人であれば、イエスの十字架の死は、ただ一人の命の贖いにはなるでしょうが、無数の人を救う根拠にはなりません。
聖書では、キリストは、神の犠牲として犠牲制度の中で予言されていました。
イエスが神でなければ、私たちには救いがなくなるのです。
悔い改めても、神は私たちを許すことができません。
イエスに御怒りを注ぎ、義の要求を果たしたがゆえに、神はわれわれの罪を赦すことができます。
イエスが神でないという考えは聖書的ではありません。
2013年4月20日
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