自由の代償は責任である
人命尊重とは言っても、一定の限度がある。
国内で普通に生活していた場合と、戦場に赴いて拉致された場合とはまったく質が違う。
戦場に行くということは、どのような理由があるにせよ、拉致されて殺害される可能性は十分にある。
外務省の警告を聞かずに、そのような場所に行くことは「私は殺されてもかまいません」と告白するのと同義である。
このようなケースに200億払うのであれば、遵法的に生活していたにもかかわらず、通り魔にあって殺された人々を救済するほうに金を払うほうがよい。
自由には責任が伴う。
戦場に行った人と通り魔にあった人はどちらが自由を多く享受したか。
もちろん前者だ。
だから前者のほうが圧倒的に責任が重い。
責任をとれないならば自由を享受できないのであり、そのような人を政府が守り、しかも通り魔殺人を犯した人間を処刑せずに守るならば、政府は「自由に応じて責任を持たせる」という基本原則を破ったことになる。、
2015年1月23日
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