神道の二大行事においてイエス・キリストは中心である。
遷宮祭において、大物忌は、心御柱に食事を供し、ともに食す。周りには天平瓮(あめのひらか)が#bs#八十枚#be#積まれている。(1)
大嘗祭では、「天皇が神殿の中央に設けられた神の寝台に向かい新穀を供進し、しかも神に奉じた新穀をみずからも食すことで、神を祀りみずからも神聖な存在になる」。この寝台は#bs#八重畳#be#に覆われている。(2)
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ここで、「八十枚」と「八重畳」に注目していただきたい。
八十と八重は「はちじゅう」と同じ読みが成り立つ。
八十は「やそ」と読める。
やそ=耶蘇=イエス。
ここから、八重もイエスと解釈できる。
これを踏まえると、
天平瓮八十枚はイエスを象徴する
八重畳もイエスを象徴する
と考えることができる。
(1)
伊勢神宮の心御柱は、神を象徴する。
その周りには天平瓮が八十枚積まれている。
これは、心御柱が象徴する神がイエスであることを暗示している。
そして、大物忌が「心御柱に食事を供し、ともに食す」のは、イエスとの共食、つまり、聖餐を意味する。
伊勢神宮の神は天照大神であるから、天照大神が実はイエスであるとわかる。
伊勢はもともと伊蘓と書いた。「伊」という文字は「天地を仲介する人」という意味であり、「蘓」は「蘇」と同じ。
つまり伊勢とは「天地を仲介する人が蘇る」と解釈できる。
もちろん、天地を仲介する人とは、聖書においてイエス・キリスト。
伊勢神宮は、イエス・キリストの復活を記念する神社である。
(2)
大嘗祭において、神の寝台は、神殿の中央に設けられていた。
そして、この寝台は八重畳に覆われていた。
これは、大嘗祭の主神がイエスであるということを暗示している。
天皇は、この寝台に「新穀を供進し、しかも神に奉じた新穀をみずからも食すことで、神を祀りみずからも神聖な存在になる」。
ここでも、神人共食が行われる。
聖書において、聖餐とは「神と人の契約更新の儀式」であり、そこで新たに「神と人が運命共同体である」ことを確認する。
天皇は、共食を通じて、イエスとの運命共同体に属していることを確認する。
後に、天皇は、死に装束である麁服(あらたえ)を着て、寝台に横たわり、そこから起き上がる。
つまり、復活をともにするという意味である。
クリスチャンは、イエスとともにすでに復活している。
しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです――
キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペ2・4-6)
これらの神道の二大行事を通じて、神道がキリスト教であるとわかる。