牧師や教職者の処遇は永遠の運命と関係する


(1)
この世で犯す最大の失敗は、「神の国の妨害」である。

人間が創造された目的が神の国の拡大であるのだから、その妨害は、最大のミスであり、永遠の刑罰に値する。

だから、牧師とか教職者など、神の国の中心であるところの、神の言葉を扱う職業の人々に対する攻撃や妨害は、永遠の刑罰に値するだけではなく、もっとも厳しい刑罰を受けることになる。地獄の炎の一番熱いところに放り込まれる。

異端などの嘘や間違った教えも恐ろしい刑罰に値するが、牧会を妨害する行為は最悪の結果を招く。

この世の価値観でしか判断できない人間は、「牧師なんて、やる仕事がないからやっているんだろう」などと考える。

まったく霊的世界のことがわかっていない。

牧師は、神から教会を任せられている人だ。そして教会とは天国の入り口である。

イエスは、ペテロを代表とする弟子たちに対して天国の鍵をお与えになった。


ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。(マタイ16・18-19)

教会には、人間を天国に入れるか地獄に落とすかの権限が与えられている。

もちろん、教会が堕落して、自分勝手な教えを奉じ、自分勝手に人を評価する場合は別だ。

そうじゃなくて、正統な教えを奉じ、しかも、忠実に礼典を行い、聖書にしたがって牧会をきちんとやっている教会の牧師に対しては恐れなければならない。

彼ら教会の指導者は、あなたを天国に送ることも、地獄に送ることもできる。

彼らに与えられた権限は巨大であり、政治家や裁判官などのそれとは比較にならない。

為政者は、人間の体を殺すことはできても、魂は滅ぼせない。

しかし、教会の牧師は、魂を滅ぼすことができる。

聖書に忠実に下した裁定によって、もし誰かが除名処分になったら、その人は「悔い改めて戻ってこない限り」地獄に行く。

(2)
聖書では、人を理由なく謀略によって貶めた場合、その貶められた人が危うく受けるところだった罰を受けなければならないと規定されている。

エステルは答えた。「もしも王さま、よろしければ、あすも、シュシャンにいるユダヤ人に、きょうの法令どおりにすることを許してください。また、ハマンの十人の子を柱にかけてください。」
そこで王が、そのようにせよ、と命令したので、法令がシュシャンで布告され、ハマンの十人の子は柱にかけられた。
なぜなら、アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとしたが、
そのことが、王の耳にはいると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたからである。(エステル9・21-25)

だから、もし誰か牧師が勝手に、根拠なくある人を計略によって除名処分にした場合には、その牧師が御国から排除される。つまり、地獄に行く。

どこかの教会が、理由なく計略によって無実の牧師を追放し、除名処分にした場合には、その教会が御国から追放される。つまり、地獄に行く。

このように、問題の結果が永遠の運命と関係しているので、教会や牧師、宣教師などに関する問題は慎重にしなければならないのである。

会社の解雇や市長のリコールなどと深刻さのレベルが違う。

 

 

2011年2月8日