六日創造説を否定する教師は偽預言者である
ヴァン・ティル主義者でありながら、六日創造説を否定することなどあり得ない。
なぜならば、聖書ははっきりと六日で世界は創造されたと述べているからである。
ヴァン・ティル主義者とは、聖書啓示を出発点(前提)とし、そこから思考を開始する。
ヒューマニストは、人間理性を出発点とし、そこから思考を開始する。
ヴァン・ティル主義者は「聖書に〇〇と書いてある。」とわかれば、「そうです。そのとおりです」と問答無用に受け入れる。
しかし、ヒューマニストは、人間理性を出発点とするから、「聖書に〇〇と書いてある?それは、科学的研究によって評価しなければならない」と述べる。
ヴァン・ティル主義者は、認識の最終権威を神に置くが、ヒューマニストは、人間に置く。
だから、六日創造説を否定するような人は、ヴァン・ティル主義者ではない。
そのような人は、いくら聖書信仰であると言っても信用してはならない。
彼らは「え〜、そんな聖書を前提として受け入れるなんて、盲信ではないですか」というだろうが、われわれヴァン・ティル主義者は、「そうです。私たちは盲信者ですよ。聖書啓示に限定すれば」と答える。
そして、われわれは彼らに対して「でも、あなたも盲信者ですよね。人間理性を無条件に権威として受け入れているわけですから」と言う。
彼らは「いいえ、私たちは盲信者ではありません。客観的な事実に基づいて思考するからです」と答えるだろうが、われわれは「科学的手法を究極の認識方法として受け入れている以上、盲信者とみなすしかありません。なぜならば、科学的手法が認識に関する絶対の方法であることを示すことができないからです」と言う。
「いいえ、科学的手法は、実験・観察・仮説の検証という方法であり、もっとも合理的な方法です」と彼らは言うが、われわれは「発見した法則が、同じ実験を100万回繰り返して100万回適用されたとしても、100万1回目にどうなるかどうしてわかるのですか」と尋ねる。
「それだけ再現性を確認できたら、もう確実な法則と断定できるでしょう」と答えるだろうが、「そのような認識方法が絶対であるならば、80億人の人が男女の性行為によって生まれたことによって、イエスの処女降誕を否定できるとヒューマニストに言われても、反論できなくなりますけど」と尋ねる。
「いや、処女降誕は別ですよ」と答えるなら、「じゃあ、どうして六日創造についてはその例外を適用しないのですか」と尋ねる。
六日創造説を否定するクリスチャンは、聖書の中で、自分が信じられる箇所を自分の主観で選別している。
神の言葉を裁いている。
神よりも高い知性を持つと自負している。
つまり、傲慢なのである。
神の言葉を、「この箇所は受け入れられるが、この箇所は受け入れられない」と区別する権限が自分にあると信じているので盲信者である。
「自分は神の言葉を選別する権威がある」と主張する者は、神のライバルであり、サタンと同類の究極の傲慢者であるから、サタンと同じ裁きに会う。
われわれ人間はあくまでも被造物であり、神の言葉の前ではひたすらにひれ伏して、ありがたく頂戴する以外に選択肢はない。
六日創造説を否定するあらゆる人は、神の言葉を「神聖不可侵」と見ていないので、滅びる。
彼らは、神の言葉を絶対と見る人々を愚昧の輩と見ており、さらに高い権威によって啓蒙されるべきであると考えているので、イルミナティと同類である。
こういう教師は偽預言者であるから絶対に従ってはならない。
2015年12月25日
ホーム