神の国を建てる人は人に頼れない



だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6・33)

10年くらい前に、あるクリスチャンがやっている心理カウンセリングのオフィスで毎週水曜日集まりをもっていた。

その中の一人、仏教と神道を信じるS氏がいた。家の方向が同じなので、よく車で送っていた。

たしか下請けの翻訳者への支払期日が間に合わないという理由でお金を一週間の予定で工面してもらった。

すると突然態度が変わり、「tomiさん、僕はこのお金をある人から借りたんですよ。その人は返さないと何をするかわからない。大変苦労して借りたんです。そこで、僕の代わりに携帯を契約してほしい」という。

それで、「この人は危険だ」と察知してすぐに返した。高い利息を付けて。

これ以来、人にお金を借りてはならないと肝に銘じた。

彼は、その後、あるトラブルに巻き込まれて警察沙汰になった。

そしてこういった。「教職者に迷惑をかけるもんじゃない」と。

お金の問題がなければ普通の人だと思った。

有名大学を出て、会計士として働いていた。

しかし、金の問題になると突然態度が豹変した。

私がこのような体験を重ねて思ったことは、人に頼ると、相手にサタンが入るということだ。

サタンは、こちらの依頼心を利用するとわかった。

S氏は、声とか態度とかが別人に変わった。

やくざのような。

神の働きをしている人にとって、人への依存は禁物だ。

神はイスラエルをマナで養われた。

人への依存を断ち切るためだ。

神が直接養ってくださることを学ばせるためだ。

クリスチャンが、ノンクリスチャンに依存して生きるならば、ノンクリスチャンの背後にいるサタンは、彼を利用して、神の国建設を妨害しようとする。

ユダヤ人が契約を重んじるのはこういう理由があるからだろう。

つまり、「なあなあの関係をすると、付け込まれる」と分かっているからだろう。

自分が育った文化の常識はクリスチャンには通用しない。

助け合って生きるのは間違いではないとは思うが、甘えとか依存は命取りになる。

だから、本当に神の国を聖書だけに基づいて建てようと思ったら、人に頼ることは厳禁である。

世話をしてもらうのではなく、世話をする側に回らないと、いつのまにか敵の中に取り込まれてしまう。

 

 

2011年3月2日

 

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