貪欲なクリスチャンと付き合うな
ディスペンセーショナリストは、イエスを信じればどんなことをしても救われると教えますから、当然神を恐れなくなります。
信徒は、牧師が奉仕するために与えられた羊であり、その羊を利用するなどということがあれば、首にされます。
しかし、実際は、利用しようとするんですね。
私は、ある教会に、ロシア語の通訳の奉仕に呼ばれたのですが、牧師から「私は、他の教会の伝道会に呼ばれたら謝礼を受け取らないことにしている」と言われました。
利用する気まんまんでした。
また、ある国への通訳の奉仕旅行について、「旅費を払ったじゃないか」と後で恩着せがましく言われましたが、私からその国に行きたいなんて一言も言っていないのですからおかしな話です。
だいたい、どこの教会のどこの牧師も利用することしか考えていません。
それで、私は、結論しました。
偽者だと。
せっかく教会に通って救いを得たとしても、こういう貪欲なクリスチャンになるなら救われた意味がありません。
私は、こういう人々から一刻も早く離れることだと思っています。
彼らには未来はないです。
神が裁かれるでしょう。
兄弟と呼ばれる者で、しかも…貪欲な者…がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。(1コリント5・11)
2015年1月4日
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