この「新しい出来事」として、ユダヤ人は「メシアの初臨」を、ダービーは「キリストの再臨」を作り上げた。
彼らは「これが起きれば、理想の世界が登場する」と考えた。
世界に存在するほぼすべての回復運動(シオニズム、ディスペンセーショナリズムなど)は、この「画期的な出来事」を期待している。
その画期的な出来事を設定してしまったので、イエス・キリストの紀元70年の再臨が無視されているのだ。
「これから大変な破局がやってきて再臨のキリストが現れるぞ!」とか「世界は経済的に大混乱し、第三次世界大戦が勃発し、人類のほとんどすべてが死に絶えるだろうが、メシアがエルサレムに現れて世界政府を作り、世界の人々を支配するだろう」みたいな教えにとって、紀元70年のキリストの再臨は邪魔である。
だから、聖書に記されている決定的な記事が無視されている。
イエスは、黙示録において何度も「わたしはすぐに来る」と言われた!!!
「わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。」(黙示録3・11)
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。」(黙示録22・12)
黙示録の出来事は「すぐに起きるべきこと」と書いてある!!!
イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。
だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。(黙示録1・1、2・16)
聖書信仰の説教者は、この聖句を突き付けられればもはや「再臨が未来に起きる」ということが言えなくなるはずである。
しかし、彼らは、それでもなお「再臨は未来に来る」という。
「画期的な出来事」が起きないと、現在の堕落した世界について説明できないからである。
「こんな堕落した世界が千年王国?冗談やめてくれ!」と。
世界を堕落させたのは、クリスチャンが誤謬を信じて、神の福音の勝利を信じなかったせいなのに。
もしクリスチャンが聖書をしっかりと調べて、信仰を確立していれば、世界はこんなに堕落しなかったはずだ。
悪魔の活動も抑え込むことができていただろう。
しかし、クリスチャンは、「意図的に」再臨と携挙に期待を寄せた。
闘いたくないからである。
「伝道と教育、バプテスマによる世界征服」という大宣教命令を避けるために、「再臨による救い」を作り出した。
「時間のかかる征服の努力」よりも「ウルトラマン的な突然の救い」を求めた。
自分の怠惰が、世界を混沌に巻き込んできたことにクリスチャンは反省すべきである。
クリスチャンには、世界を支配する全権が与えられている。
だから、努力し、祈れば、支配は拡大するのである。
もちろん、波はあるだろう。
うまくいくときもあれば、失敗するときもある。
しかし、あらゆる建設にそういう波はつきものである。
今のクリスチャンや教会に魅力がなくなり、人々からあざけりを受ける対象になっているのは、健全な教えから離れたからである。
世界が変わるのは、「各世代を通じた着実な努力」による。
それ以外の方法はない。
自分の世代よりも、次の世代において御国が拡大していなければ「ならない」。
だから、クリスチャンは、聖書的子育て、多産、経済的成功、政治的成功を求めなければ「ならない」。
悪魔勢力の騙しの教理である共産主義やディスペンセーショナリズムを通じて、クリスチャンから力がどんどん失われ、教会に人々は集まらなくなっている。
大いなる反省が必要である。