聖書信仰に徹底して立つ正統派のキリスト教はわれわれだけ
昔、歌声喫茶があった。
世代が違うので私は行ったことがないが、同じだとしても一度も行くことはなかっただろう。
どうもこの集いには共産主義の臭いがする。
団塊の世代がこのような集いの中心にいた。
この世代が今、政治や経済の指導者を占め、中国に売国している。
レーニンは、「私に一世代を与えよ。そうすれば国を変えてみせる」という内容のことを言ったが、団塊の世代は共産主義者のために選ばれた世代だった。
全共闘で学園が荒れ、大学でまともな教育ができなかった。
われわれの世代、ポスト団塊世代は、この世代を基準にしてものを見る傾向がある。
私自身、あの世代がやったことは何だったのか、という課題をかかえて生きてきた。
ソ連が崩壊し、東欧も、そして、今中国も崩壊しつつある。
共産主義が人類の連帯の原理としてまったく役に立たず、むしろ、人間を隷属化し、虐待する非人間的な原理であることが暴露されてしまった。
「人間に頼れない。」と分かってしまった。
いや、むしろ「人間だけでやっていくと、ひどいことになる」と分かってしまった。
本当に総括できる人はみなこのことに気付いている。
全部過去のこととして忘れる人々にとってソ連や中国の実験は何も意味がない。
これらの人々は、半ば動物的な欲望に生きているので、相手にならない。
問題は、原理を探している人だ。
原理を探している人こそ、リーダーになる。
政治家で、ただ単に金儲けしか考えない奴は、すぐに馬脚を現す。
また、深い洞察力がない連中も馬脚を現す。
真のリーダーとは、原理から徹底して考える。
一流の芸術家や教育学者は、哲学の流れをおさえ、原理から一つ一つ思考を積み上げる。
今や進化論もダメ、共産主義もダメ、そもそもカントにおいて自然法も潰されているから、残っているのは何もない。
たしかに社会民主主義など共産主義の亜流はある。
しかし、それは共産主義が否定されたときに否定されている。
亜流は単に程度をゆるくしたというだけのもの。
われわれが提示しているのは、認識論から徹底して厳密に思考を積み上げてできたものである。
キリスト教は、信条を通じて厳密に思考を積み上げてきた。
その歴史的なふるい分けを通じて、異端思想が拒絶されてきた。
キリスト教が正統派の立場から堕ちると、異端思想が復活する。
ものみの塔とかモルモン、統一教会などがはびこっているのは、正統派が揺らいでいるからだ。
教会がしっかりとした正統派に返るときにリバイバルは起きる。
この世俗社会において希望は消えた。
カント革命は完全に失敗した。
「人間だけでやっていく。世界を人間中心に運営する」という理想は崩れた。
キリスト教も異端思想が復活し、ファンダメンタリズムを侵食した。
われわれだけが残った。
徹底的に首尾一貫したキリスト教として残ったのはわれわれだけだ。
世界の希望はわれわれにある。
聖書信仰に徹底して立つ正統派のキリスト教はわれわれだけである。
つきつめて考える人は理解できるだろう。
2012年10月27日
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