9世紀の日本の庶民の生活は幸せだった


ねずさんによると、『令集解』(868年頃)には当時の庶民の生活が記されている。


日本国内の諸国の村々には、村ごとに神社があります。
その神社には、社官がいます。人々はその社官のことを「社首」と呼んでいます。

村人たちが様々な用事で他の土地にでかけるときは、道中の無事を祈って神社に供え物をします。
あるいは収穫時には、各家の収穫高に応じて、初穂を神社の神様に捧げます。

神社の社首は、そうして捧げられた供物を元手として、稲や種を村人に貸付け、その利息を取ります。

春の田んぼのお祭りのときには、村人たちはあらかじめお酒を用意します。
お祭りの当日になると、神様に捧げるための食べ物と、参加者たちみんなのための食事を、みんなで用意します。

そして老若男女を問わず、村人たち全員が神社に集まり、神様にお祈りを捧げたあと、社首がおもおもしく国家の法を、みんなに知らせます。

そのあと、みんなで宴会をします。
宴会のときは、家格や貧富の別にかかわりなく、ただ年齢順に席を定め、若者たちが給仕をします。

このようなお祭りは、豊年満作を祈る春のお祭りと、収穫に感謝する秋のお祭りのときに行われています。

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まるでユダヤの祭りそのもの。聖書を知っている人なら、すぐに理解できる。

祈願のための供え物、初物の献上、レビ人の取り分、集会での律法の朗読、宴会、春と秋の収穫祭。

『魏志倭人伝』に、日本では「盗窃せず、諍訟少なし」という。

また、日本では刑法が発達しなかった。民法だけだったと。

いかに犯罪が少ないよい国であったか。

日本が「羊系ユダヤ人」の楽園として存在していたとの確信を深めることができた。

 

 

2019年4月18日



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