内省はサタンの罠である
外国に行くと日本が優れた国であるとわかる。
しかし、若者の満足度、充実感が最低だという。
むしろ殺人・強姦だらけの南アフリカのほうが幸福感が高い。
これは、単に外部環境では人間の心が整わない好例だと思う。
サタンは甘くない。
すべての環境が整い、裕福に暮らす人々の心の中に入ろうとする。
入ってめちゃくちゃにしようとする。
戦争の中にいていつ死ぬかわからない人の心を破壊するのと、平和と幸福な社会で、自由にものが手に入り、仕事があり、お金がある社会に住む人の心を破壊するのとどちらが簡単か。
後者だ。
われわれは、外部に問題がないと、内面や自分を見つめる時間が増える。
自分に気を取られることがどれだけ恐ろしいことか。
際限のない内省という泥沼に入る。
われわれは、外部に働きかけるために生まれてきた。
神がエデンの園に人間を置いたのは、内省するためではなく、「園を管理し、畑を耕させるため」である。
内面を見つめることが主ではない。
外部を改革していくことが主である。
それが正しい道である。
内省に時間を使っている人は、神の命令に違反しているので、破滅するのだ。
それ用に作られていない機械を、そのために使えば壊れる。
たとえば、地上を走るために作られた車を、船として使用したらすぐにダメになる。
内面を見つめるために時間を使っている人は、神の目的と違うことをやっているので壊れるのが当然なのだ。
だから、われわれは仕事を作って、それに没頭しなければならない。
エデンの園を拡大し、神の支配を拡大するために時間を使わなければ健全になれない。
内省は、サタンが仕掛けた罠である。
サタンにとって、われわれが外部に働きかけることが何よりも怖い。
たとえば、今、私は英文で南京大虐殺や慰安婦の矛盾点を指摘する文章をどんどんといろんなところに貼り付けている。
それに対して、対応は当初激しい抵抗があったが最近はなくなってきた。
われわれが反論しなければ、中国や韓国の中傷はどんどん広まって、世界は彼らの意見を採用する。
そうすれば、われわれは性奴隷を国ぐるみで行い、30万人の民間人を大虐殺した極悪民族ということになるのだ。
日本人が、一つ一つ反論していかないとこのような趨勢は変わらない。
内面にこだわっている場合ではないのだ。
サタンはわれわれが活動すると負けると知っている。
だから、内省に向かわせたいのだ。
労働の力がない人は、祈ってほしい。
祈りは、世界を大きく変える。
サタンの力を封じ込めることができる。
とにかく内面を見ることをやめて、外に向かって働きかけるならば、満足感や幸福感、自信とか、そういう悩みは雲散霧消する。
2015年3月18日
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