求めなさい。そうすれば与えられます


求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(マタイ7・7-8)

神の国を求めるならば、与えられる。

神の義を求めるならば、与えられる。

LGBTが大きな顔をして社会を乗っ取ろうとし、杉田議員を攻撃しているが、とんでもないことである。

われわれが望むのは、神の法にしたがって運営される社会である。

クリスチャンには、社会を「義と愛に満ちた」ものにする義務があるし、また権利もある。

LGBTは中立ではない。

それは罪である。

神への反逆である。

神への挑戦である。

神のライバルになろうとする人は、必ず潰される。

バベルの塔は崩壊した。

言葉を乱されて意思疎通ができなくなった。

われわれは、自分自身も含め、神の法を犯し、悔い改めないあらゆる人や組織が呪われるように祈るべきである。

もし自分が神の法を犯して平気でいるならば、自分が幸せになることを拒否すべきである。

罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。(ヤコブ4・8-9)

われわれが第一に求めるべきは、自分の幸せではない。

われわれがもっとも求めなければならないのは、神の幸せである。

神の国とその義がこの地上を支配し、神が造られた世界が神の栄光に富むものとなることである。

まず神の幸せが実現してから、人間の幸せがやってくる。

神が栄光を受けず、人間が主役になるような伝道は伝道ではない。

2.

神の栄光と御国、そして神の義が実現するように祈れば、それは実現する。

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます」

ディスペンセーション主義がはびこってから、地上において神の国を実現させる動機が失われた。

クリスチャンは、再臨を待ち望むだけになってしまった。

御国を求めないから、祝福がない。

もし求めるなら、クリスチャンには、巨大な、信じられないような祝福がやってくるだろう。

御国と義のためにお金と権力をくださいと言えば与えられる。

「地を従えよ」と命令した神が、悪魔に属する人々が富と権力を持っている現状を放置されるはずがあるだろうか。

彼らは、その莫大な富と権力を使って、不法と悲惨がはびこるような世界を作りだそうとしている。

3.

200年もの長い間、ディスペンセーション主義によって毒されてきたクリスチャンは、「世界を変えてください」と求めることに慣れていない。

「私たちに権力と富を与え、この地上を支配させてください」と祈ることを忘れてしまった。

どうかこのことを積極的に祈っていただきたい。

 

 

2018年9月29日



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