今日訪問した教会では、女性が講壇に立って教えていた。しかも、短髪であった。
私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。(1テモテ2・12)
女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。(1テモテ2・11)
ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためにです。(1コリント11・10)
明らかな聖書に対する違反である。
教会では、男性が女性に教えるべきである。
なぜならば、神は、キリストを男性のリーダーとして、男性を女性のリーダーとして創造されたから。
しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。(1コリント11・3)
これは、男尊女卑ではない。
社会的秩序のためのルールだ。
神の三位は、本質において平等であるが、社会的に序列がある。
子は父に従い、聖霊は両者に従われる。
それと同じように、神は、社会を成立させるために、本来平等である男女に格差を設定された。
女性は一部の例外を除いて、男性のリーダーとしてふさわしくない。
男女は、互いに補完的な存在であり、男性にリーダーとしての資質が与えられている一方で、女性にその補佐としての資質が与えられている。
であるから、教会の中で女性がリーダーとなっているのを見ると、秩序が狂っていると感じる。
正常な教会では、男性はリーダーとなり、女性は聞き手に回るべきだ。
それから、女性の場合は長髪にしないのであれば、被り物をつけるべきだ。
長髪は保護の象徴であるのと同時に権威のしるしでもある。
長髪は女性にとって権威をあらわす。
長髪でなければ、被り物によってその権威を示す。
女性がリーダーになるのはごく例外的なことだ。
サッチャーのような女性はきわめてまれである。
男性が神に不従順になると、神は女性を立てられるようだ。
だから、北欧などは、男性がだめになっているのだろう。
聖書が教える秩序を失う社会に対して、神は刑罰として女性をトップに据えられる。
そうして男性に恥をかかせる。