これから黙示録は起きる?


http://www.thejerusalemconnection.us/columns/2010/02/01/why-preterism-is-a-false-doctrine.html
に反プレテリズム論が出ているので反論する。


(反論1)プレテリストは、ネロが反キリストだという。

プレテリストは、ネロは「獣」であるというだけで、反キリストであるとは言わない。

なぜならば、反キリストとは聖書において単なる「異端者」であり、「世界統一をもくろむ単一の専制君主」などとは書いていないから。

聖書で「反キリスト」は次の4つの箇所にしか出てこない。

小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります(1ヨハネ2・18)。
偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです(1ヨハネ2・22)。
イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです(1ヨハネ4・3)。
なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです(2ヨハネ7)。

「今それが世に来ている」とあるので、反キリストとは、ヨハネの当時の人である。

しかもそれは「多く」「大ぜい」の人々である。

黙示録の「獣」と反キリストを結びつけることはできない。

(反論2)しかし、ネロは反キリストではない。なぜならば、彼は自殺したのであって、生きたまま火の池に投げ込まれたのではないから(黙示録19・20)。

1.「字義どおりの解釈」はナンセンスである。

ネロは、自殺したが、「強いられて」である。

68年3月、ガリア・ルグドゥネンシス属州総督ガイウス・ユリウス・ウィンデクスによる反乱が勃発、波及して各地の属州総督がこれに次々に同調した。ローマへの穀物輸送が絶たれ民衆の怒りも高まる。ネロはエジプトへの逃亡を決意するが、近衛隊や側用人からも見放され、6月8日夜には元老院からも「国家の敵」、即ち公敵としての宣告を受ける。ネロはローマ郊外の別荘に逃れるが、翌9日未明、騎馬兵が近づく音が聞こえるに及び、自らの喉を剣で貫き自殺。(Wikipedia "ネロ")

織田信長が本能寺で自害したのと同じで、もし謀反がなければ生き続けていたのである。だからネロが「殺された」と考えることにムリはない。

2.「生きたまま火の池に投げ込まれた」という箇所を文字通り捉えるのであれば、「じゃあ、これから登場する反キリストは、生きたまま火の池に投げ込まれるのか?」という疑問が起きる。

じゃあ、その火の池とはどこにあるのか。

「火山の噴火口」なのか?

いや違う。なぜならば、投げ込まれた後でも意識を持ち続けるから。

そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。(黙示録20・10)

噴火口に投げ込まれてマグマの中で「永遠に昼も夜も苦しみを受ける」なんてことはありえない。

ノンプレテリストは、文字通り解釈するという呪縛から解放されなければならない。


(反論3)ネロは、物の売り買いを監視しなかった。

これは、判りません。記録にないから「なかった」とはいえない。ネロは専制体制を敷いていたので、商売に対する規制を行ったと容易に想像できる。

この箇所は、「獣は、自国民に対するあらゆる活動を支配した」ということを言おうとしていると考えるべき。

文字通りの解釈にこだわるといろいろな矛盾が起きる。

「獣」が文字通り売り買いを監視しなければならないとすれば、次の箇所も「文字通り」起こると考えなければならない。

また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。
また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。(黙示録13・16-17)

「右の手かその額」に負うべきはコンピュータチップではなく、「刻印」である!

「獣の名」または「その名の数字」を「刻印」しなければならない。

「その刻印があるかないかを見て、業者や店員は、売り買いをコントロールするだろう」と主張すべき。

なぜ「コンピュータチップによる売買管理」がここから導き出せるのか。

さらに、「自由人」と「奴隷」を区別する身分制がなければならない。

現代の国家でこんな身分制を持つ国家があるだろうか。

えっ、「これは、精神的なものであって、実際のそれではない」と?

現代人に見られる「金銭の奴隷」や「麻薬の奴隷」のような精神的なものを指している?

じゃあ、次はどう解釈するのか?

商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、
また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのちです。(黙示録18・12-13)

「奴隷」は商品として挙げられている。

これは、精神的な奴隷なのか?明らかに古代において売買されていた「奴隷」以外の何者でもない。

 

 

2011年5月15日

 

 ホーム

ツイート

 





millnm@path.ne.jp