キリストを信じることは新しく生まれることである
ヒューマニズムは、いい加減な宗教である。
どのようにいい加減かというと、人間から出発する。
「世界は、人間のために存在するので、人間が考えるとおりに動かしてよい」とする。
「なぜ、人間のために存在すると分かるのですか」と聞いても、「それは、そのように人間が決めたからだ」としか答えは返ってこない。
人間の中でぐるぐる回る循環論なのである。
「この世界が人間によって創造されたわけでもないのに、世界が人間のためにあるとなぜ考えられるのですか」と尋ねても、「われわれは創造者ではないが、そう決めたのだ」との答えしかない。
その点、同じ循環論でも、聖書的キリスト教はより徹底している。
「この世界は神によって創造されたので、世界は神のためにある」と答えることができる。
そして、「神のために存在するので、神がお考えになるとおりに動かすべきだ」と。
首尾一貫している。
ヒューマニズムは、非合理の宗教なのだ。
では、どうしてこんな非合理の宗教を信じたのか。
サタンに騙されたからだ。
「神ではなく、あなたが究極です」とエバにささやいたサタンに。
ヒューマニズムの土台は、「騙し」である。
現代世界を支配しているこの宗教の基礎は、「騙し」である。
サタンに騙されたので、つきつめるとサタン崇拝なのだ。
サタンは、自分を崇拝させるという隠れた野心のもとで、アダムを騙した。
アダムは、自分で選択したものでは済まないと分かった。
「自分の目が開けて、神のようになれると思ったから食べたのに」と。
自分が究極者になったと思ったが、実はサタンが究極者のシステムの中に入ったことがわかった。
アダムの子孫は、サタン崇拝者として生まれてくる。
クリスチャンにならないで死ぬと、サタン崇拝者として死ぬ。
たとえ自分でサタン崇拝していないと思っていても、サタン崇拝しているのである。
なぜならば、「騙し」の体系の中にいるから。
「私は、無宗教だから」と言ってもダメ。
あたかも無宗教のように見せてサタン崇拝させているサタンに騙されているので。
全人類は、エデンの園において、「騙し」の体系の中に入ったので、クリスチャンにならない限り、すべての人は騙されてサタン崇拝させられている。
だから、死後、サタンと同じ刑罰を受ける。
つまり、永遠の滅びである。
これを回避するには、その騙しのシステムから抜けることである。
アダムの子孫全員が騙しのシステムにいるから、アダムではない者の子孫になることだ。
それが第2のアダム、キリストである。
キリストの子孫になることによって、われわれは、騙しから解放され、刑罰を逃れ、永遠の命を受ける。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。(2コリント5・17-18)
2012年7月16日
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