有益な人生を最短コースで生きるには


1.

誰も神の国を妨害することはできません。

神が必ず人を変えるので、私の側ではまったく心配していません。

私の人生で数人の人々をお導きすることができれば、もしそれが神の与えられた使命であるならば、満足します。

ある牧師が「人生の中で数人の献身者を作って、それで牧師として成功したことになりますか?」と言いました。

私は「神がそのように定められたのであれば、それが成功です。」と答えます。

「そんなちっぽけな成果で満足するのですか」と尋ねられたら「そうです。」と言います。

なぜならば、自分の能力がそのレベルであれば仕方がないし、成果は環境にも影響されるからです。

時代が反キリストであれば、後継者を育てることは非常に難しい。

アメリカでは、すぐに人が集まるでしょうが、日本の場合は、そういうわけにはいきません。

礼拝出席者が何人とか、どうでもいいことです。

問題は、いかに聖書的になれるか、です。

なぜならば、聖書に神の御心が記されているからです。

神の御心と関係ないところで、一生懸命頑張って、いったい何になるのでしょうか。

「教理など関係ない!聖書を勉強すると暗くなります!神学ではない!愛なんです!」

こういう牧師は絶対に信用してはならない。偽預言者だから。

彼らは自分の王国を作りたいのです。普通の会社経営と同じ感覚です。

会社経営と教会はまったく異なる。

教会の要は、真理です。

真理を固く保つこと。

これに命をかけるのが、牧師であり、伝道者、神学者である。

私は考え方を完全に変えました。

神学生時代は、教会成長学の授業によって影響を受け、スーパーチャーチを作ろうとか考えたこともありましたが、聖書から学ぶうちに、そのような人間の野心はくだらないと思うようになりました。

神の御心を行うことが神のご関心なのであって、人間がどのような成果を収めるか、自分がどれだけ大きな仕事をするかは、それぞれに与えられた分があるので、精一杯やればいいと思います。

神は全能なので、私が結んだ小さな実を何百倍にも増やせる天才的な人を将来登場させることも可能です。

しかし、そのようなことは、神の計画にあることであって、私の仕事ではない。

私たちは、自分を「お椀に乗って川を流れる一寸法師」のようなものと考えるべきです。

川下りをしている間に誰と出会うか、どのような事柄を体験するか、すべてゆだねることです。

神はゆだねた私たちに「最短コース」を備えてくださる。

無駄のない生き方ができる。

最高に効率よく、有意義な人生を送れるように導いてくださる。

ゆだねていないと、自分の自我によって無駄なことをして一生をつぶしてしまいかねない。

人生が終わりに近づいたときに、自分が結んだ果実が腐っていることを知ってどうするのでしょうか。

共産主義のために一生をささげた人は、自分がやってきたことが無駄であったと悟るでしょう。

それは、神が示されるでしょう。裁きです。恐ろしい瞬間です。

私は、そのような無益な人生を送りたくない。

2.

私は、いろいろな経験をして、この立場に導かれるまでに背負ったトラウマのために20年間苦しみました。

20〜30代は対人恐怖的な状態にありました。

40代になってようやく、なぜあのような体験をさせられたのか、理解できるようになりました。

今は、人を恐れずに、神だけを信頼していけるようになりました。

私は、このような経験から、クリスチャンとして成長するには、20年の試練が必要なのだと思います。

神はこの世を愛さなくなるまで徹底して絆を切られました。

今は、この世の誰に対しても何も期待しません。

神はかなりむごいことをなさります。

この世の幸福という観点から見れば、神に選ばれた人々には「悲惨」を与えられます。惨めな状態に置かれます。

それは、「神だけを見る」ためです。

いわゆる「幸せな家族」「幸せな結婚」「祝福された職場環境」などというものが得られると考えたら間違いだと思います。

この世の栄華や幸福を全部捨てさせられて、荒野の中に放り出されて、ホレブ山の前で神と直面したモーセのような人を神は求めておられるのだと思います。

この人生で、地上的幸福はなくてもよいものです。なぜならば、幸福は永遠の御国において飽き足りるほど与えられるからです。

この地上で一番尊い宝とは、「神の国のために生きる」ということが最善であると悟ることができるということだと思います。

私は同窓会とかに出たくないです。なぜならば、過去を振り返って「なつかしい」とかそういう思いがむなしいと感じるからです。

私にとって重要なことは、日本と世界が神の国に変わることであり、一人でも多くの同志を獲得して、御国建設にまい進することです。

未来こそが大切です。

だから、昔を懐かしむとか、回顧することに価値を見出さないのです。

 

 

2017年3月15日



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