ディスペンセーション主義の問題は写本と関係ない


改竄されてしまった聖書とは違い、原書に近い福音理解が出来るのでデスペンセーション主義の間違いが糺されるというものでしょうか

ディスペンセーション主義の間違いは、写本の選択の問題、及び、その選択された写本に基づいて編纂されたギリシャ語聖書の問題というよりも、聖書解釈の問題です。

なぜならば、ディスペンセーション主義が根拠とする聖書箇所は、アレキサンドリア写本とビザンチン写本のいずれにも共通しているからです。

たとえば、マタイ24章34節は、写本において互いに違いはありません。

http://www.greeknewtestament.com/B40C024.htm#V34

「まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。 」 (マタイ24・34)

ディスペンセーション主義者は、マタイ24章の「前兆」がまだ起きていないと主張しますが、イエスは、ここではっきりと「前兆はこの時代のうちに起きる」と明言しておられます。

ディスペンセーション主義者は、この34節を無視して以下の箇所が未来に成就すると説いています。

「そこで、イエスは彼らに答えて言われた。『人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(マタイ24・4-14)

ディスペンセーション主義は、写本の問題ではありません。

 

 

2018年8月14日



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