聖書的国家における統一性と多様性


1.

イスラム教は多様性を認めない。

イスラム教思想の権威イシュマイル・ラジ・アルファルキ テンプル大学教授(1921〜1986年)曰く:


「したがって、イスラムでは、ウンマ(共同体)内において、宗教的多様性及び道徳的独立または分派は違法である。ウンマの宗教と異なるものは異端である。というのも、宗教的および道徳的な意味において、ウンマは一枚岩のシステムだからである。これに対する反対は『イスラム教徒にイスラム以外の宗教を実践し、イスラム以外の道徳的原則に従うことを許すこと』であり、バカげている。さらに、イスラム内部における宗教的・道徳的多様性を許すことは、すべての真実と知識の統一の原則であるアル・タウヒドの否定である。これは、2つの異なる真理の主張の共存を許すことと同義である。」(Ismail R. Al-Faruqi, "Al Tawhid: Its Implications for Thought and Life (Issues in Islamic Thought, 4)Feb 1, 1994, p. 117) 

「アル・タウヒド」とは、「神のワンネス」を意味する。

「タウヒド」は、イスラム教においてもっとも基礎的な概念であり「神はおひとり(Al-Ahad)であり、人格的に単一(Al-Wahid)である」。「タウヒドの原理のゆえに、イスラム教における神観は、ユニテリアンであると考えられている」(Wikipedia-Tawhid)

イスラム教の神は、一位一神(ユニテリアン)である。

このワンネスの原理から「すべての真実と知識の統一の原則」が導きだされ、それゆえ、「イスラム共同体内部における宗教的・道徳的多様性」は否定される。

2.

キリスト教の神は、三位一神(トリニテリアン)であり、それゆえ、統一と多様性のいずれも究極の価値を持つと考えられる。

共同体内部における宗教的・道徳的・その他の事柄について、多様性は許容される。

われわれは、政治的共同体にいる異なる信仰を持つ人々を無理やり改宗させない。

われわれの方法は「伝えることのみ」である。

信仰の選択は個人にゆだねられる。

強制し、無理に信仰を告白させたとしても、真に聖霊によって回心していなければ、いかなる意味もない。

われわれは、本当に心から納得して信仰に入ることを勧める。

思想信条の自由は、キリスト教国家において保証されるべきである。

3.

だからといって「教会員はどのような思想や教理を信じてもよい」というわけではない。

教会において異端の考えを持つ人々を受け入れることはできない。

牧師は、そのような人々に聖餐を与えてはならない。

思想信条の自由は、あくまでも国家や地方などの政治的共同体において通用する。

つまり、異なる信仰をもつ人々は犯罪者ではない。

政治的共同体においては許容されるが、教会では戒規の対象である。

4.

将来、国民に対する弟子化が進み、国民の大半が自らすすんでキリスト教国になることを選択した場合であっても、思想信条の自由は保障されるべきである。

選挙権はクリスチャンに制限されるべきであるが、しかし、ノンクリスチャンに生存権やその他の人権は保証される。

ただし、聖書を基本原則として制定された法律に違反する行為については、処罰の対象となる。

何を規制し、何を自由にするかは、聖書に基づいて決定される。

統一性と多様性は、聖書にもとづく政体において、もっとも正しく実現される。

 

 

2017年6月23日



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