情報を入手した者には責任が伴う2


1.


しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。@ 
というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。A
それから終わりが来ます。B そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。C
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。D
「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。E (1コリント15・20-28)

ここでは、次のことが言われている。

@ キリストの復活。

A 再臨のときキリストに属している者の復活。

B 終わりの到来。

C キリストによるあらゆる支配・権威・権力の滅亡と、御国の父なる神への献上。

D  最後の敵である死の滅亡。

E 万物の御子への服従と、御子の御父への服従。

これらは、再臨時に起きる。

われわれの多くの聖書解釈は、ディスペンセーション主義の影響を受けているので、これが未来に起きると誤解しているかもしれない。

しかし、「情報を入手した者には責任が伴う」で述べたように、再臨は紀元70年に起きた。

となると、これらの6つも紀元70年までに起きたと考えるべきということになる。

@ キリストは、十字架の3日後に復活された。

A 紀元70年にキリストに属している者は復活した。それゆえ、もはや黄泉の「慰めの場所」にクリスチャンはいない。

紀元70年以降、クリスチャンは今の肉体を離れると同時に「御霊のからだ」を与えられ、復活し、パラダイスに昇り、キリストとともに世界を支配する。

B 終わりの到来。

これは、世界の終末ではなく、「旧約時代の終わり」を意味する。旧約時代の世界は終わり、キリストを王とするニュー・ワールド・オーダーが始まった。そこでは、キリストに従う者が強くなり、逆らう者が弱くなる。つまり、キリストの御国は徐々に世界に拡大し、最終的に全世界の諸民族が弟子化される。

C キリストによるあらゆる支配・権威・権力の滅亡と、御国の父なる神への献上。

旧約時代の支配者や権力者はすべて滅亡した。第二のアダムとしての「人の子キリスト」が勝利者となり、敵を数珠つなぎにして勝利の凱旋を行い、王である父なる神に彼らを差し出された。

それゆえ、このニュー・ワールド・オーダーにおいて、キリストの敵はいない。今騒いでいるディープステート(イルミナティ)の連中は、世界に福音が届き、諸国民がキリストに服従し、弟子となるために用いられている「道具」に過ぎない。

D  最後の敵である死の滅亡。

紀元70年以降、全世界から「法的に」死は追い出された。なぜならば、キリストの十字架によって「天地にあるすべてのものが神と和解した」からである。

その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ1・20)

すでに和解が成立している以上、死は「法的に」無効化された。

しかし、「実際に」不死を獲得するには、「適用」しなければならない。

薬は飲まない限り効かない。

和解は「信じないと適用されない」。

世界は、溺れかかっている「かつての敵」のようである。

すでにキリストによって和解は達成され、溺れている人はもはや敵ではない。

それゆえ、ボートから浮き輪が投げられている。

その「かつての敵」が救われる方法は、その浮き輪につかまって引き上げられることだけである。

しかし、頑固にそれを拒否するならば、溺死以外にはない。

イエス・キリストを信じることによって、人は和解の現実を自分に適用できる。

人間以外の物は、その和解を適用した人を通じて和解される。

クリスチャンになった人が政治を行うことによって、政治は神と和解し、神の国を作る有力な方法となる。

しかし、和解を拒んで敵の状態のままの人は、神の法に逆らった政治を行うことが多いので、それは神の国を破壊する。

「死」に関しても同じである。

世界のすべての人々は、キリストにあって、「法的に」もはや敵ではない。

彼らは「かつての敵」である。

だから、永遠の命に与る権利がある。

神は溺れている彼らに浮き輪を投げられた。

彼らは拾えば永遠の命を手に入れられるが、拒否すれば、永遠の滅びである。

クリスチャンは浮き輪を受け取った人である。

それゆえ、クリスチャンは不死身になった。

われわれは、肉体を離れたときに、即座に「御霊のからだ」を受け、永遠に御国において世界の支配者として暮らす。

E 紀元70年以降、万物は御子に服従するようになった。ディープステートがいかに反抗しても無駄である。中国がいかに教会を迫害しても無駄である。

キリストの御心一つで、彼らは瞬殺される。

御子は、万物を服従させ、御父に服従する。

これによって、父なる神が万物の支配者になられる。

このことは、紀元70年に成就した。

つまり、現在の世界体制とは「父なる神を至高者とする体制」である。

それゆえ、「サタンが世界を支配している」という考えは間違いであり、それゆえプレ・ミレのように「キリストの再臨がない限り、世界は変わらない」という考えも間違いである。

2.

このような体制のもとで、成功と失敗は、どのように定義できるだろうか。

成功とは「キリストに服従すること」であり、失敗とは「キリストに服従しないこと」である。

これ以外の成功と失敗の定義は、ことごとく偽りである。

悪魔崇拝者は究極の敗者である。

サタンは、紀元70年以降、キリストの足台となっている敗者である。

「音楽業界では、イルミナティに従わないと成功できない」と言われている。

しかし、イルミナティに従ったレディー・ガガはどうなったか。

奇病に取り憑かれている。

悪の道に入ってうまく行くはずがない。

中国共産党の人間の愚かさは、「現体制においてキリストは王である」と知らないか、無視していることにある。

共産党に入ったときに、「敗北への道」を選択したのである。

すべてキリストに逆らう人は、敗者である。

彼らは永遠の敗北を運命づけられている。

われわれはキリストを王として生活しよう。

日々の生活の一瞬一瞬の選択を「これは神の国を拡大することになるか」と問いかけながら行おう。

神の国のためにやることは、すべて成功する。

たとえ、一時的に失敗のように見えても、必ず成功する。

なぜならば、神が必ずそれらを成功に導いてくださるから。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8・28)

 

 

2020年8月2日



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