福音派はディスペンセーショナリズムを通じてイエズス会化された
「メシアはまだ来ていない」という考えは、ユダヤ教のそれである。
ユダヤ教において、ナザレのイエスはメシアではない。
「メシアはすでに来られた」という考えは、イエスの弟子たちのそれである。
そして、福音書では、はっきりと「神殿が崩壊するときが再臨である」と記されている。
イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイ24・1-3)
ヴァチカンに対するユダヤ人の支配は、徹底していた。『信仰教義会』の会長を務めていた枢機卿ジョセフ・ラッツィンガー(後のベネディクト16世)は、「メシアはまだ来ていない」とのユダヤ人の見解を取り入れたカトリックの信仰教義を正式に発表した。
イエスを公然とは否定していなかったが、メシアが未来に来臨するというユダヤ人の考えを受け入れていた。
カトリック教会は、かなり以前にイエスの贖いの務めを拒否していた。
このユダヤ的/カトリック的な教義の原案は、アルベルト・ヴァンホイェという名のイエズス会士によって作られた。
(Melinda Henneberger, Vatican Says Jews' Wait for Messiah Is Validated by the OldTestament, New York Times, January 18, 2002,http://www.hughhewitt.com/past_news_)
「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」(ルカ21・6)
2015年4月21日
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