イルミナティ・コネクションからの離脱を2


天皇陛下、3年続けて紀元節(建国記念日)祭祀行っていないという。

一昨年は天皇だけピンポイントでノロウィルス、感染経路不明。

昨年は緊急性のない検査入院。

今年は丁度一年になるからとやっぱり建国記念日に検査入院。
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4113846.html

この情報が正しいとしたら、天皇制が根本から揺らいでいるということだ。

巣鴨プリズンで7名のいわゆる「A級戦犯」が絞首刑に処せられたのが、1948年12月23日。

12月23日は、当時の皇太子殿下であった陛下の誕生日である。

フリーメイソン33階級のマッカーサーの狙いは、今上天皇陛下で天皇制を終わらせるということだったのだろう。

http://hakkeshinto-mobile.seesaa.net/article/52436212.htmlによると、神道家の山蔭基央氏が著書で次のように語っている。


明治の憲法が制定された時、京都の公家達は次のやうに言つた。

「此の憲法のある限り、今は金帝さまだが(今上皇帝をもぢり金帝と云ふ)、次は銀帝、次は銅帝、次は泥帝、次は哀帝に成る」と。

まことに、其の通りに成りつつある。

明治憲法は「祖宗の遺訓を守る」と言ひながら、天皇に軍服を着せて「覇王(大元帥)」となし、てんと恥じる事なく、憲法第一章・三條に於て、「天皇は聖にして侵すべからず」と明記した。

其の後は、天皇は國家機關の求める事に從つて國政・國事を行ふ「立憲君主」に成つていく。

此のことを指して京都の公卿達は異議を申し立てたのである。

まづ以て、天皇は神敕に基づいて生まれ乍らに祭祀王であられる。

國民の尊崇は神祕の中にある。

其れを輔弼する公卿達は、日常を神事の中で生活してきた。

禁中(皇室)は神事が基本である。

其れが日本國民の宗家としての生き方である。

『禁祕抄』(順徳天皇著・承久年間成る)は宮中の故實・慣例を記したもので、其の中に「禁中は年中、神事を以て大事とする」との意が記されてゐる。

皇室は幾度か危機に瀕したが、必ず天皇は神事を守り祭祀王の道を守られたのである。

然るに「明治憲法では、御政務とて、神事中心の生活を侵害してゐる」と言ふのが、明治の公家達の言葉である。

此のことは「現行憲法」でも變はる事はない。

ましてや「皇室外交」とて、天皇を政治外交の場に引き出すことは天皇の御本質を損なふものである。

泥帝=明仁天皇、哀帝=徳仁親王。

哀帝は「ないてい」であり、廃帝(皇位を剥奪・天皇では無かったことにされる)というふうに解釈できる。

つまり、今の皇太子・徳仁親王は廃帝になるという不吉な予言なのだ。

「皇室は幾度か危機に瀕したが、必ず天皇は神事を守り祭祀王の道を守られた」。

それが、今上天皇が祭祀を中止しているということは、皇室が危機に対して対処していないということであり、廃位の運命にあるということにほかならない。

恐ろしいことである。

天皇の祭祀を支配しているのは、秦氏であるが、この秦氏はもともとキリスト教国であった弓月国からやってきた。

であるから、祭祀には、キリストの象徴がふんだんに表れている。

国民のために祈り、国民に厄が及ばないための儀式などが、契約の主キリストの職務を表現しているように思われる。

四方拝・紀元節・天長節・明治節を四大節と呼ぶが、これは戦後になっても紀元節は建国記念日・天長節は天皇誕生日・明治節は文化の日として残っている。

四大節の一つに祭祀を行わないということは、実質、本来の天皇の職務を果たしていないことになり大変な変化である。

この3年間の紀元節での祭祀取りやめと、創価学会やロックフェラーと関係のある小和田家の影響は関係ないのだろうか。

雅子さまは祭祀を嫌っており、皇太子も鳥居をくぐりたがらないという話も耳にする。

天皇家全体が徐々に破壊されているとしか考えられない。

まさに日本の危機である。

 

 

2012年10月17日



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