日本は贖罪信仰の国である
神話は、寓話である。
だから、それを文字通り解釈するのは間違い。聖書のようには読んではならない。
日本神話の場合、寓話であると同時に、「隠された意味」があると考えるべきである。
なぜならば、日本文化そのものにも言えることだが、「表と裏」があるように作られているから。
江戸時代、人々は裏地に凝った。
日本文化において、表を着飾ることは「粋」ではない。
これは、世界においてはあまり見られないので、日本人は誤解される。
不言実行が美徳とされるが、外国人は言葉にしないと理解してくれない。
だから、いろいろな批判をされたら、堂々と自己主張しないと誤解されたままである。
日本文化の本質を作った秦氏の美学は、「本質を隠す」というところにある。
だから、古事記や日本書紀の神話を文字通り解釈するのは無意味である。
その中に隠されている意味を探る必要がある。
天照大神が岩戸から見た八咫鏡は天照大神自身を象徴する。
その鏡は、榊にかけられていた。
つまり、天照大神自身が榊にかけられた。
榊は、木編に神。つまり「ご神木」である。
根ごと掘り起こされたと記されているのは「人の手によらない」ことを意味する。
ご神木に天照大神がかかった。
藁人形をご神木に打ち付けることは、呪いを意味する。
つまり、天照大神は呪われた。
明らかに十字架である。
榊は、枝に八尺瓊勾玉と八咫鏡と布帛がかけられていた。
三種の神器は、八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣であるから、布帛は草薙剣の代用だろう。
三種の神器がかかった木とは、つまり、神がかかった木。
なぜならば三種の神器は神代(神の象徴)だから。
『古事記』では天照大御神が天孫降臨の際に、瓊瓊杵尊に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙(くさなぎの)剣」を神代として授けたと記され、
(Wikipedia―三種の神器)
2015年5月13日
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