携挙が近い?


ディスペンセーション主義のプレ・ミレは、患難時代が来る前にクリスチャンは携挙されて、救われるとする。

だから、これから黙示録の大虐殺が起きても、クリスチャンはそれから逃れられるという教えだ。

キリストが空中再臨する。雲に乗ってやってきたキリストが信者を空中に迎え上げる。

その根拠となっているのがこの箇所だ。


次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサロニケ4・17)

これは、われわれの時代についてではない。

なぜならば「生き残っている私たちが」とあるから。

パウロは、携挙の時期を「パウロと同時代人が生き残っている」時代と限定した。

パウロは、その直前でこうも言っている。

私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。(15)

パウロは、主の再来まで、「私たちは生き残っている」と断言した。

さて、もしこの再来がパウロの時代に起きていなかったとしたら、パウロは嘘をついたことになる。

もしくは、パウロの預言は外れた。

聖書信仰に立つクリスチャンが切迫携挙説を取れない理由はここにある。

つまり、携挙が未来に来ると考えると、聖書預言が外れたことを公に認めることになるのだ。

この箇所では、時代が限定されている。なぜならば、これは、テサロニケのクリスチャンに対する「手紙」だからだ。

この手紙の目的は何か。

眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。(1テサロニケ4・13)

「亡くなったクリスチャンについてノンクリスチャンのようになき悲しむな」という励ましである。

その励ましの根拠は、「イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られる」ことにある。

もしこの箇所がわれわれの未来に成就すると考えるならば、パウロは外れた預言によってむなしい励ましをするためにわざわざ手紙を書いてテサロニケの人々に渡したということになる。

そして、そのようなむなしい外れた預言を歴代のクリスチャンは、聖典として採用してきたと。

「これから携挙が起こる」と考えると、第1テサロニケを偽書扱いすることになるのだ。

切迫携挙説は、愛人を作って家族を捨て、イルミナティからカネをもらってスコフィールド・バイブルを書いた、サイラス・I・スコフィールドなる詐欺師の教えである。

われわれは、「聖書は、直接の読者が読んでも判らないことは書かれていない」という聖書解釈の原則を確認しよう。

そして、歴史的・文法的解釈から離れたこのような「私的解釈」を捨てよう。

 

 

2011年5月14日

 

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