「携挙」は、教理史上きわめてマイナーなテーマである


「携挙」は、教理史上、きわめてマイナーなテーマであり、最近までそれを支持した人々はほとんどいなかった。


通常「クリスチャンは、キリスト教時代が始まってから1800年の間、携挙を信じていなかった」と考えられている[7]。

現代

18世紀に患難前携挙説に関する文献は少なくとも2冊ある。それは、

1)1788年にペンシルベニア州フィラデルフィアで出版された本と、2)チリのイエズス会司祭エマニュエル・ラクンザ(1731-1801年)が1791年頃に書き、後に1827年にロンドンで出版された「栄光と威厳の中でのメシアの来臨」という本においてである。

ラクンザの本は、カトリック使徒教会の創設を支援したスコットランドの長老派クリスチャンのエドワード・アーヴィング(1792-1834年)に影響を与えた。

1830年に彼の信徒の一人マーガレット・マクドナルドという15歳のスコットランド・アイルランドの少女が、患難前携挙の幻を見たと述べた。

携挙説の普及は、プリマス・ブレズレンの中で著名だったジョン・ネルソン・ダービー(1800-1882年)の教えと関係がある。

ダービーは、エドワードアーヴィングの影響のもと、という新しいタイプの患難前携挙前千年王国説を、19世紀の英語圏の諸教会において唱えていた。

携挙の教えをさらに普及させたのは、ウィリアム・ユージーン・ブラックストーン(1841-1935年)という伝道者であった。その1908年の著書「イエスが来られる」は、100万部以上を売り上げた。

「携挙」という言葉は、1909年の「スコフィールド・レファレンス・バイブル」においても神学用語として登場する。

1957年、ダラス神学校の神学者ジョン・ウォルヴード(1910〜2002年)は、患難前携挙説に神学的な支持を与える「携挙の問題」という著書を執筆した。この本は最終的に6万5000部を売り上げた。

J・ドワイド・ペンテコストは、1958年に、患難前携挙説を支持する「起きるべきこと:聖書の終末論の研究」を執筆し、21万5000部を売った。

1970年代、携挙説の人気はさらに拡大した。それは一部、「地球最後の日」をはじめとするハル・リンゼイの著作に負っている。本書は、1500万〜3500万枚の売り上げを記録している。

リンゼイは、当時の世界の状況に基づいて、携挙が切迫していると主張した。

冷戦と欧州経済共同体は、ハルマゲドンが間近に迫っているとの彼の予言において際立つ存在であった。1970年代の国際政治の他の側面は、聖書に予言されていたと見なされていた。

例えば、リンゼイは「黙示録で引用されている10本の角を持つ7頭獣は、当時10カ国になろうとしていた、欧州連合の前身欧州経済共同体である」と示唆した。現在欧州連合の加盟国は、27カ国である。

1995年、患難前携挙説は、数千万冊売れ、何本か映画化もされたティム・ラヘイの「レフト・ビハインド」シリーズでさらに拡散された。

携挙の教義は、今日でもファンダメンタリストのキリスト教終末論において重要な要素であり続けている。多くのファンダメンタリストのキリスト教徒はいまだに「世界の状況が、すぐに起こるはずの携挙や患難、キリストの再臨を指し示している」と感じている。

しかし、今日の前千年王国論者の多くは、初代教会の患難後携挙前千年王国説に従い、依然として患難後携挙説を信じている。

彼らの間で携挙は、患難後携挙説として言及されているが、初代教会においてそうであったように、この用語をもはや使用しないでおこうとする傾向もある。

言うまでもなく、通常、無千年王国説を信じる東方正教会やローマ・カトリック教会、主流のプロテスタント教会には、携挙説の伝統は存在せず、この教義は拒絶されている。

http://www.newworldencyclopedia.org/entry/Rapture

 

 

2018年12月1日



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