クリスチャンの家族は聖められている
<Q>
まだ救われていない家族や
友人が救われるようにと祈ることは必要でしょうか?
富井先生の周囲ではそのような祈りはされてる
方はいらっしゃいますか?
とりあえず、今の私の考えでは
・いのりは無駄ではない
(主にそう言われたことがある)
・いのちの書に名前があるかどうか
私たちにはわからないので祈るべき
だと思って祈ってはいるのですが・・。
本人が望まない、興味を持たない様子をみて
時々、必要なんだろうかと思うときがあるのです。
<tomi>
私たちは、祭司ですので、とりなしをすることができます。
まだ救われていない人々が救われるようにとりなすことができます。
すでに救われる人は決定されていますが、それが誰であるかわかりませんので、祈り続けることが大切です。
家族は、家族契約により、私たちと一体ですから、私たちが信仰に入ったと同時に、聖められています。
「なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。」(1コリント7・14)
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16・31
これは、遊女ラハブのところでも言われています。
「その人たちは彼女に言った。『あなたが私たちに誓わせたこのあなたの誓いから、私たちは解かれる。私たちが、この地にはいって来たなら、あなたは、私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結びつけておかなければならない。また、あなたの父と母、兄弟、また、あなたの父の家族を全部、あなたの家に集めておかなければならない。あなたの家の戸口から外へ出る者があれば、その血はその者自身のこうべに帰する。私たちは誓いから解かれる。しかし、あなたといっしょに家の中にいる者に手をかけるなら、その血は私たちのこうべに帰する。だが、もしあなたが私たちのこのことをしゃべるなら、あなたが私たちに誓わせたあなたの誓いから私たちは解かれる。』」(ヨシュア2・17-20)
ここで家の救いについての原則がわかります。
1. ラハブの信仰のゆえに、家族全員が救われる。
家の中でクリスチャンが一人出て、家族がその信仰に反対しなければ、その家族は実質的に救われている。そのため、時が来れば、クリスチャンになる。
2. ただし、自分の意思で「外へ出る(信仰を拒む)」ならば、その人は救われない。
積極的に信仰を拒否する場合は救われない。
3. このこと(イスラエルのスパイの秘密)をしゃべるなら(つまり、信仰に反することをするなら)家族全員の救いに関する約束は取り消される。
クリスチャンが神の言葉に逆らう行動をとり、しかも、悔い改めない場合は、救いの契約から排除され、それと同時に、家族全員への祝福も取り消される。
私たちがクリスチャンとして熱心に神に仕え、救いを祈るならば、積極的に反抗しない家族はすでに聖められており、格別に救いに近いのです。
祈り続ければ、必ず信仰を告白します。
2012年8月9日
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