知らず知らずイルミナティの罠にはまっている古典主義者
イルミナティがやりたいことは、「アトランティス文明の復活」である。
アトランティス文明は、ノアの洪水によって滅んだ文明。
つまり「暴虐の文明」。
ルネサンスの目標は、古典回帰である。
ギリシア・ローマの古典を復活させようとした。
古代ギリシア・ローマ文明の回復とは、「プレキリスト教時代の文明」の回復である。
つまり、イルミナティもルネサンスも同じ目標「キリスト教がはびこる前の時代を取り戻せ」を持っている。
したがって、現在、白人文明、キリスト教文明を毛嫌いし、キリスト教が入る前の日本の文明を取り戻すとか、キリスト教が入る前のアメリカのインディアンの文明を取り戻すとか言っているのは、イルミナティである。
映画や文学、アニメなどを通じてイルミナティは「純朴なインディアンと邪悪なキリスト教徒」という対立構造を我々の頭に植え付けようとしている。
しかし、現実はまったく逆である。
キリスト教による改革を逐一調べればいかに、われわれがキリスト教からポジティブな遺産を受け継いでいるかわかるだろう。
たとえば、近代科学は三位一神教であるキリスト教の世界観がなければ発展できなかった。
なぜならば、キリスト教だけが統一性と多様性を両立させることができるからだ。
科学は「統一した世界」を前提としないと無意味である。
なぜならば、時代と場所によって法則が変わる可能性があるなら普遍化にはいかなる意味もないからである。
21世紀に日本で発見された科学法則が、22世紀のブラジルで適用できるかどうかわからないとなれば、その発見には意味がない。
いつでもどこでも同じ法則が適用できる、という前提がなければ自然科学に意味はなくなる。
だから、一神教以外で科学の長期的発達は不可能なのである。
同時に、物事の多様性を調べる人文科学の場合、「多様性も究極である」という世界観がなければならない。
AさんとBさんの個性について調べる学問が成立するには、多様性を重視する原理が必要である。
統一性だけが尊重され、多様性が軽視される文化では、個性に関する知識はいずれ軽視され、その学問そのものが科学から消える。
キリスト教の神は、一人であると同時に多者である。
統一性も多様性もいずれも究極である。
多神教の社会においては、統一性を求める自然科学は発達しない。
一位一神教の社会においては、統一性だけが評価され人文科学は発達しない。
もちろん、多神教の社会でも欧米の学問は発達するが、その社会の原理がその学問と矛盾しているので、長期的には衰退する。
科学を成立させる前提となる原理が確立されていない社会では、長期的に科学は発達できない。
このように、キリスト教が近代世界を築き上げる土台を提供してきたのは、歴史的事実である。
したがって、キリスト教を単なる「白人による帝国主義的収奪の宗教」としてとらえるのは、文化人の自殺であり、その文化人が作り上げている文明の自殺でもある。
アトランティス文明、古代ギリシア・ローマ文明、インディアン文明への回帰を求める人は、知らず知らずイルミナティの罠にはまっているのである。
2016年10月10日
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