六芒星の起源2


そもそも実証主義は、資料の量と質に完全に依存しているので、知識を獲得する方法としては、欠点が大きい。

実証主義によれば「六芒星はバビロンにしかなく、古代ユダヤにしかないから、日本の六芒星もバビロンの影響だろう」と結論するしかない。

しかし、将来において、古代ユダヤの遺跡から六芒星が発見されるかもしれない。

そうすると、実証主義によって得られた知見はそこで大きく修正を余儀なくされる。

このような資料やデータにのみ依存するのは、科学的には正しい認識方法なのだが、われわれクリスチャンにとっては、それは一つの認識の手段・道具でしかない。

クリスチャンが実証主義にどっぷりつかって、資料やデータによって自分の知識を左右されるならば、信仰を維持することは絶対に不可能である。

クリスチャンは、まず「聖書は絶対の真理である」という前提から出発すべきであり、実証主義的な科学は、その前提を破壊しない限りにおいて有効な認識の手段であると考えるべきである。

そうしないと、常に信仰が科学的な発見に左右され、自分の思考と行動を首尾一貫したものにできない。

クリスチャンは、まず「聖書の神を第一とし、その命令を絶対に順守する」と心に決めなければならない。

科学的知識は世界を知る方法としては有効であるが、聖書啓示を超えない限りにおいて、という制限を設けるべきである。

将来、クリスチャンスクールができたときに、この原則を破ると、その学校は名前だけであり、少しも「クリスチャン」的ではない。

今のミッションスクールはほとんどが、サタンの認識論(人間から出発して人間に帰る)を採用しているので、キリスト教であるのは名前だけになってしまった。

ヴァン・ティルの前提主義に立たないと、すべてが無駄になってしまう。

 

 

2017年1月17日



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