信仰の人 by R・J・ラッシュドゥーニー


ヘブル人への手紙11章では、真の信仰を表明し、神のために大いに用いられた旧約の聖徒たちが列挙されている。ヘブル人への手紙11章33-40節には「神に仕える人々が、堕落した世界に敵意を持って迎えられる」ことを想起させる簡潔な言葉が記されている。諸国を征服し、正義を実行し、ライオンの口を封じ、敵を敗走させた人々(ヘブル11:33-34)は、その過程で大きな苦しみを体験した。王国を征服したダビデは、敵に追われて山々を逃げ回った。偉大な政治家であり、預言者でもあったイザヤは、のこぎりで引かれ、体をバラバラにされた。ライオンの口を封じたダニエルは、敵意と投獄に苦しんだ。

彼らや他の人々の生涯は、「十字架なくして王冠なし」という古い諺が真理であることを示している。時に、信仰者は、真実が語られることを嫌い、善が行われることを望んでいない敵対的な勢力に立ち向かわざるを得ない。

われわれが生きている世界は堕落している。それゆえ「敵対する人々と向き合わずとも信仰は繁栄できる」との期待は、あまりにも幼稚である。「望むならば、そのとおりになる」とか「法律を通せば、人々を変えたり、地上に新しい楽園をもたらすことができる」との考えは、空想物語の域を出ない。

その真意が自らの願望の達成にある人々は、正義を愛し、そのために働いているふりをする。忘れてはならないのは、ダビデやダニエルやイザヤと戦った人たちは、しばしば高い地位にある人々であり、当時の社会において重要な人物であったり、いわゆる「善良な」人々であったという事実である。聖書の登場人物の中で、当時の犯罪者によって悩まされていた人々はほとんどいない。むしろ、彼らに敵対した人々は、当時の社会の法と秩序を支える「重要」人物であった。

ヘブル人への手紙第11章に列挙されている人々は、実際的な人ではなく、信仰の人々である。彼らの敵は、神の現実ではなく、人間の現実に従って生きていた人々であった。しかし、かつてディズレーリが述べたように、「実際的な人は、その先達の失敗を繰り返す」。信仰の人は、神のみ言葉によって生きる。

A Word in Season: Daily Messages on the Faith for All of Life, Volume 6, pp. 136-137.

 

 

2017年10月28日



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