信仰によるクリスチャンの祈りは聞かれる



道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。
弟子たちは、これを見て、驚いて言った。「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」
イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。(マタイ21・19-21)

この箇所は、サイコキネシスに関する教えではない。

つまり、信仰があれば物体を移動させることもできることを教えたものではない。

イスラエルの運命に関する教えである。

「いちじく」はイスラエルを象徴する。

しかし、悪くて食べられないあの悪いいちじくのように、――まことに主はこう仰せられる。――わたしは、ユダの王ゼデキヤと、そのつかさたち、エルサレムの残りの者と、この国に残されている者、およびエジプトの国に住みついている者とを、このようにする。(エレミヤ24・8)

そして、「いちじくに実がなかった」というのは、「イスラエルは神のために実を結んでいない」ことを象徴している。

イエスは、このように無益になったイスラエルに対して刑罰を宣告された。

おまえの実は、もういつまでも、ならないように。

すると「枯れた」。

これは、イスラエルは裁かれて滅亡するという預言である。

実りのない契約の民は、捨てられる。

最近流行の「無条件の救い」がいかに嘘であるかお分かりだろう。

「クリスチャンになって、神のために実を結んでいなければ、切り捨てられる」のだ。

聖霊が働いていれば、実を結ぶはずだ。

しかし、実を結ぶことができないのであれば、それはもはや「死に体」である。

実を結ぶことがなく、反対に不義の実を結び続けるならば、捨てられて滅亡する。

もう一つ、ここで重要なのは、「山」である。

山が移動する。

この山は何を意味するのか。

「いちじく」がイスラエル民族を象徴するならば、「山」も民族を象徴する。

「山」はローマである。

ローマは黙示録において「山」で表現されている。

あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。
ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。(黙示録17・8-9)

つまり、イエスはここで「信仰があれば、ローマを動かすこともできる」ということを言おうとしておられるのである。

「海に入れ」というのは、何を意味するのか。

聖書において「海」は「滅亡」を象徴する。

預言者ヨナは、海の中に落ちたが、神が用意された魚の腹の中に3日3晩いて救われた。これは、キリストの復活を象徴する。

海から出てくるというのは、滅びから救われることを示している。

だから、「山が海に入る」ということは、「ローマが滅亡する」ということを意味している。

すなわち、この箇所の意味とは、次のようなものである。

イエスの権威によって、イスラエルが滅亡するならば、信仰があれば、ローマ帝国でも滅亡させることも可能だ。

実際に、契約の民の祈りに答えて主はイスラエルとローマに裁きを下された。

契約の民は復讐を祈っていた。

小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」(黙示録6・9-10)

それに対して主が答えられ、裁きを実行された。

「いちじく」は枯れた。

この後、私は、天に大群衆の大きい声のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。
神のさばきは真実で、正しいからである。神は不品行によって地を汚した大淫婦をさばき、ご自分のしもべたちの血の報復を彼女にされたからである。」(黙示録19・1-2)

「山」は動いた。

また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。
すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。(黙示録19・19-20)

紀元70年以前に、神はイスラエルとローマに裁きをくだされた。

イエスの預言は成就した。

われわれの祈りは、聞かれる。

たとえそれが「世界帝国の滅亡」の祈りであっても。

御心にかなった祈りならば、必ず聞かれる。

イルミナティの計画が挫折するように祈ってほしい。

 

 

2011年5月30日

 

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