自分で何から何まで解決しようとするのは傲慢である


かえって病気を作りだしている精神医学の世界。

http://www.youtube.com/watch?v=pYyYJhYi_XI&NR=1&feature=endscreen

これは、絶対に見るべきビデオです。

問題の根源にある問題は、金儲けであるが、それだけではなく、そのさらに奥底にある「神の世界を人間が勝手に人間だけで成立すると決めてしまった傲慢」である。

聖書にしたがって解決すべき精神の問題、たとえば、霊的攻撃とか罪に起因する精神の乱れなどを、人間が神と聖書を除外して解決しようとするから、まったくおかしな結果になっている。

様々な体験を通して感じたのは、われわれを憂鬱にしているのは、1.世界観の間違い、2.霊的攻撃に対する無知、3.信仰による解決の拒否である。

実際に、脱力の霊に取りつかれたことがあるが、体を動かすこともまったくできなくなるほどの脱力感である。

友人が電話して助けてほしいと言ってきたので、カウンセリングをしたら、私にその霊が取りついた。

そこで、信仰の友である人に相談したところ、「そんな馬鹿な話があるか。気のせいだ」と一蹴された。

そうしたら、私に取りついていた霊が彼に移り、彼が脱力にさいなまれるようになった。

私は元気になった。

われわれは絶えず攻撃されている。

霊的攻撃に対処するには、信仰である。

自分の心の中に絶対に悪霊を入れないこと。

入ったらなかなか出て行かない。

口から出る言葉に気を付けること。

否定的な言葉、たとえば、「ダメだ」「もうおしまいだ」「自分の人生はなぜこんなになってしまったのか」とか。

こういう言葉を言わないこと。

言うと、入ってくる。

うるさい!と一喝することだ。

そして、積極的に考え、前向きな言葉を口にすること。

精神的にかなりやばくなったら、次の聖句を何度でも唱えること。


何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4・6-7)

「思い煩っていること」を捨てること。

そして、頭を切り替えて、「聖書は絶対だから大丈夫。神にゆだねよう」と心配事を神に預けること。

自分で解決しようとすると糸がこんがらかるようにますますやばくなる。

そういう場合は、神にゆだねて忘れること。

全部自分でやらないと気が済まない人は注意。

6日働いて、最善を尽くしたら、あとは神の責任である。

1日を神にやっていただくために何もしてはならない。

これが安息日の命令の本質である。

信仰から離れることによって、われわれはどれだけのものを失うだろうか。

自分で何から何まで解決しようとするのは傲慢である。

 

 

2012年12月3日



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