生まれながらの人間が聖書の指導なく革命を行えば悲惨が待っている


”北一輝と毛沢東には共通点があります。ご存じのとおり、北一輝は23歳のとき、『国体論及び純正社会主義』でデビューし、自らを社会主義者として「自認」していました。さらに中国の辛亥革命にも身を投じています。

そんな北一輝がなぜ超国家主義者に変貌していったのかは、中公文庫版『日本改造法案大綱』に解説を寄稿していただいた嘉戸一将先生のみごとな分析をぜひお読みいただきたい。

で、北一輝と毛沢東ですが、二人にもっとも共通するのは、単に西洋の社会主義を模倣しただけでなく、自国の状況に合わせて、具体的な革命(北の場合は「国家改造」)のシナリオを提示した点であると思います。

さて、一方の北一輝はどうでしょうか。

『日本改造法案大綱』はもともと、『国家改造案原理大綱』というタイトルで大正8(1917)年に発行されたのですが、たちまち発行禁止処分になったので、問題箇所を削除して改題し、大正12年に改造社から刊行されたものです。プレミアム文庫版の口絵に改造社版の冒頭部分の写真を掲げましたが、いきなり「三行削除」「十一行削除」「八行削除」「五行削除」「七行削除」と文字が並び、実に36行にわたって削除を施したことが明らかになっています。プレミアム文庫版では、削除した部分を『国家回想案原理大綱』で補い、具体的にどの箇所が削除されたか(すなわち、刊行当時の当局がどういう部分を危険視・問題視したか)が明らかになるよう編集いたしましたが、その削除された冒頭部分で北はいきなり「三年間憲法を停止」し、議会を解散し、「全国に戒厳令」を布き、この間に私有財産の制限、華族制度廃止、財閥解体などの「国家改造」を行うよう提言しています。

戒厳令とは、緊急事態に際して勅令により、一時的に国家の統治権(行政権・立法権・司法権)を軍隊に委譲する命令をさす言葉で、日本では日比谷焼き討ち事件(1905年、ポーツマス条約を不満とした集団が起こした暴動)、関東大震災(1923年)、そして2・26事件(1936年)の際に「戒厳令」が布かれたと言われています(厳密な「戒厳令」かどうかは法理論的に議論の余地があるようです)。

いわば三権分立ではない、国民の権利が一部制限された状態で、粛々と「国家改造」を行うべしというのが北一輝の思想です。そうなると問題になるのは、こうした「国家改造」への抵抗勢力を誰が統御するのかが問題です。特に私有財産の制限を強行しようとすれば、資産家は反対するでしょう。ことによってはロシア革命後の内戦のように、武力を持って抵抗し争乱状態が惹起されるかもしれません。

そうした懸念を宥めるように、北一輝は「国家改造」の執行者として「在郷軍人団」を指名しています。退役軍人を組織し、私有財産制限に抵抗する者を摘発し懲罰すれば、「国家改造」は「騒乱なく」、粛々と実行されるであろうと言うわけです。”
http://chukobunkop.hatenablog.com/entry/2014/11/25/132819

いかに動機が愛国心から出ているとしても、目標や方法が共産主義的だと国を破壊する結果となる。

北一輝は「三年間憲法を停止」し、議会を解散し、「全国に戒厳令」を布き、この間に私有財産の制限、華族制度廃止、財閥解体などの「国家改造」を行うことを提唱し、その手段として「退役軍人を組織し、私有財産制限に抵抗する者を摘発し懲罰」すべきだと唱えた。

共産主義の根本的な誤りは「人間は堕落しておらず、聖霊の生まれ変わりも、聖書という神の啓示も不要であり、人間理性だけでユートピアを作れる」という幻想にある。

20世紀において共産主義者が人類にもたらした悲惨な歴史は、この「人間教原理主義」に起因する。

生まれながらの人間には、聖霊による生まれ変わりと聖書による指導がない限り、サタンの罠から脱することは不可能であり、これを否定した善意の改革や革命は、再び日本を不幸のどん底に落とすことだろう。

 

 

2018年2月23日



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