命を見る by R・J・ラッシュドゥーニー


伝道者の書9・9に、「愛する妻と幸せに暮らせ・・・」から始まる一文がある。ヘブライ語のテキストを文字通り解釈すると「あなたが愛した妻とともに、命を見よ・・・」となる。ヘブライ語の「見る」には、「見る」だけでなく「経験し、楽しむ」という意味もある。

つまり、ソロモンの言葉の真意は、次のように非常に単純である。「われわれは、結婚生活において、命を十分に楽しみ、経験することができる。信仰的な妻は、あらゆる事柄について、それを見、理解するわれわれの能力を高めてくれる。信仰的な妻は、われわれの洞察力を向上させる。」

これこそ、箴言31・10において、なぜ徳の高い女性が最大の富と評価されているかの理由である。「徳の高い」と訳されたヘブライ語の単語には、ほかにも「強さ、徳、武勇など」など多くの意味があり、その関連語は「軍隊」をも意味する。徳の高い女性は、貞操であると同時に、強さの塔でもある。このような女性を得ることは、強い味方を手に入れるようなものである。彼女の強さの一面は、その発言にある。「彼女は知恵の言葉を語る。その舌には思いやりの法がある。」(箴言31・26)。

反対に、夫にとって力の源泉とならない女性について言えることは、「彼女は、口を開ける」だけである。事実、聖書によれば、口うるさい妻は、雨漏りする屋根と同じくらい無益である。「大雨の日に続く雨漏りは、議論好きな女性に似ている」(箴言27・15)。

アダムの、エバに関する発言は非常に重要である。「これは私の骨の骨、私の肉の肉である」(創世記2・23)。ここでアダムは、「私はエバを与えられたときに、自分自身を見つけ、自分の可能性に気づいた」と述べたのである。エバは、完全にアダムとその召命の一部であり、人が立って動くのに必要な骨や骨格のような存在であった。エバは、アダムの肉の肉であり、完全にその命の一部であったので、生きることは、すなわち彼女との生活を意味した。

結婚は、神の法にしたがって営まれるときに、非常に大きな祝福となる。結婚を通じて、われわれの洞察力や力は増し、神の下において働く能力は向上する。結婚を通じてわれわれは「命を見る」ことができる。

 

 

2019年6月13日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net