神はわれわれのすべての業を利益に変えてくださる2


いわゆる宗教と呼ばれるもので、人に依存させるものはすべてマヤカシである。

教祖や牧師などに頼らせるものは全部だめだ。

宗教は一番儲かるビジネスだ。

なぜならば、人の依存心を利用すれば、その人の心をコントロールすることによって、その人の財産をかすめ奪うことができるからだ。

大物の宗教家ややくざの親分、アイドルは、これができる。

人々に幻想を提供して、偽りの安心を与え、偽りの依存関係を作ることができる。

日本人はこのようなカリスマを求める傾向がある。

だから、教会ですらすぐにこういう組織に変わる。

教会員は牧師に期待する。

牧師の周りにべったり張り付いて、彼のいうことを目を輝かせて聞く。

彼らはクリスチャンではない。

クリスチャンとは、イエスを拝む人々である。牧師を拝む人ではない。

こういう牧師はアイドルである。だから、そういう教会は偶像礼拝の教会であるから、裁かれる。

牧師は、絶対に信徒を自分のために利用してはならない。

依存させるようなことをしてはならない。

むしろ、神のもとで自立するように訓練すべきだ。

しかし、残念なことに日本のシステムは、師匠と弟子、先輩後輩の関係が軸にある。

集団に入ると、人間を恐れることを学ばせる。

芸能界でも、○○軍団というようなものがあるが、みんなそういう関係をつくり出す。

封建時代から作られた古い人間関係が支配している。

だから、本物のクリスチャンは、日本社会に溶け込むことが非常に難しい。

神はイスラエルを砂漠につれていかれた。

40年間、ろくに水も食料もないところで訓練された。

砂漠での訓練は、本物になるために避けられない。

牧師に頼るのでもなく、周囲のクリスチャンに頼るのでもなく、自分ひとりで神様から一つ一つ与えられる経験を積まなければ本物にはなれない。

人が倒れて、それで自分もぐらぐらするようならば、まだ訓練が足りない。

本物のクリスチャンは、「○○先生は信用できない。ああもうだめだ!」なんて考えない。

「○○先生はこう言っているが、聖書は何を言っているのだろうか」と考える。そして、

「○○先生はこういう考えだが、僕は聖書からこうだと思う」と考えるべきだ。

そういう考え方ができなければ、誰とも正常な人間関係は作れない。

人につまづいて信仰を失うような人はもともと信仰など持っていなかったのである。

もともと自分を作ることをしてこなかったのである。独立してものを考えることを避けてきた。

だから、教祖が倒れると共倒れになる。

そして、掌を返したようにその教祖をなじる。

牧師や教祖などが言ったことについて反対のことを言う人間を敵視する集団はろくなものではない。

こんな集団ははやめに出るべきだ。

自分も依存心の強い偶像礼拝者に変えられてしまう。

互いの違いを理解しながら、聖書信仰という一点で結びつくような集団に加わるべきだ。

 

 

2011年4月21日

 

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