霊的な原理は有神論者・無神論者を問わず必ず適用される
日曜日に車を運転しながら、イヤホンでミレニアムの会員の方と携帯で会話していると、板橋区の歩道に「イタチ」が歩いているのが目に入った。
猫でも犬でもない。明らかにイタチ。
「今、イタチがいましたよ」というと、その会員の方は「実は、朝、イタチの話をしていた」と。
その方によると、ミレニアムの記事に、自分が少し前に話題にしていた内容が出てくることが一回や二回ではない、とても偶然とは思えない、と。
もちろん、私は、その方の行動や話題については何も知識がない。
距離的にも、時間的にも、知る方法はない。
しかし、一致する。
別の方によると、ミレニアムの記事に書かれたことがその後自分に実現することがよくあると。
また、ミレニアムに何らかのアプローチをしようとするたびに、キリスト教に無理解の親から「おまえ、変な宗教にかかわっているんじゃないだろうね」と忠告されると。
もちろん、親には何も知らせていないと。
このミニストリをはじめてから、こういうシンクロは数多く体験してきた。
初期には、こちらの立場を伝えると、伝えた相手に変なことが起きて、怖くなってこちらとのコンタクトをやめる、ということが頻繁にあった。
どうしてこういうことが起こるのか。
霊的な戦いだからである。
ピラトの妻は、イエスの裁判の前日、悪夢を見た。
また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」(マタイ27・19)
それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。(ローマ1・19)
ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、
アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。
だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。
そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。
主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」
そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。
それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」(創世記4・3-12)
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。(出エジプト記20・7)
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、(出エジプト記20・5)
2016年5月9日
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