フルプレテリズムは復活の教理を否定する異端である
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。(黙示録20・13-14)
1.
もしフルプレテリズムが正しいとすれば、第二の死もすでに起きたということになる。
「死とハデス」もすでに「火の池に投げ込まれ」ていると。
大宣教命令もすでに成就したと。
じゃあ、われわれの仕事は何?
伝道する必要性は?
今、悪霊はなぜ働いているの?
このまま、この堕落した世界が永遠に続くわけ?
これが栄光化した世界の姿なの?
まともなクリスチャンが信じられる教えではない。
2.
今の世界が完成された世界であるならば、われわれはすでに復活していることになる。
たしかに霊的・法的・契約的には復活している。
しかし、「からだの復活」はまだである。
フルプレテリズムを信じると、このわれわれの体が「栄光化されたからだ」であるという結論になる。
パウロははっきりと「血肉のからだでは朽ちないものを相続できない」と言っている。
兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。(1コリント15・50)
「血肉のからだ」は「朽ちるもの」。
だから、これは完成された栄光体ではない。
フルプレテリズムは、復活の教理を否定する異端である。
フルプレテリストとは絶対にかかわってはならない。
2019年5月24日
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