1.
再建主義を信じ、ホームスクーリングをやり、ポスト・ミレを信じ、セオノミーを信じても、神の法を超えるようなことを教え、人に勧めるような教会や教団は、偶像礼拝者である。
人間が犯したエデンの園における最大の誤謬は、「自前の法を作った」ということである。
神の法は「善悪の知識の木から取って食べてはならない」であった。
それに対してサタンは「食べてよい」という法を作り、それに従った。
新約時代において神は「ものそのものに善悪はない」と明言された。
主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。(ローマ14・14)
今の「クリスチャン」は「酒やタバコは悪い」と言う。
これは、別の法体系の創造である。
「酒やタバコの過剰摂取は健康によくない」ならOK。
しかし「宗教的に御法度である」というならNO。
前者は、聖書に啓示された神の法の枠内の教えであり、後者は、枠外の教えだから。
2.
聖書と異なる法体系を創造することは、主権者を変えるということ。
人間は、エデンの園において別の法体系を作ったので「主権者を変えた」。
つまり、偶像礼拝者になった。
人間は、自分を崇拝するようになった。
「私は聖書の神を信じています。イエス・キリストを救い主として受け入れます」と言っても、聖書を超える禁令を設け、自分を縛り、人々を縛るならば、主権者を変え、自分を崇拝しているので偶像礼拝者である。
これは、本社から派遣された支店長が、会社の規則と違う規則をその支店において設定し、従業員に強制しているようなものである。
その従業員が本社に「支店長が勝手にこんな規則を作っています」と訴え、本社から「そんな規則は無効だから捨てなさい」と命令しても変えようとしない。
支店長はクビである。
「支店を繁栄させるためにやったことです」といくら文句を言っても受け入れられない。
命令系統を破壊しているからである。
つまり、この支店長は善意でやったにしても、組織を破壊しているので、排除される以外にはない。
会社が求めているのは「本社の命令を聞き、本社の意思の範囲内で働く支店長」である。
自分で勝手に聖書を超える規則を作って「神様のため」と言っても通用しない。
すべて「聖書を超える禁止命令」は、神の国の破壊であり、悔い改めなければ滅びる。
われわれが求められているのは「世間的に立派な人になること」でも「禁酒禁煙の聖人」になることでもない。
「聖書に禁止されていることをやらず、禁止されていないことを自由に行う人」である。
この原則を破る人は、聖書的クリスチャンとして認められない。
聖書と異なる法体系を持つ人は、別の宗教の信者である。