宗教家への侮辱は自分を滅ぼす


霊的世界の存在は、現象世界の存在の優越を嫌う。

霊的存在は、現象世界のボスである。

彼らはプライドを持っている。

神もサタンも主権者としてふるまうから、人間が霊的世界を利用しようとしたり、バカにするようなことをすると、報復する。

たとえば、あるプロデューサーがヘビメタグループを作って、悪魔崇拝の儀式を真似たり、バフォメットや魔方陣などを利用する。

このプロデューサーには「そんな宗教的理由はないです。単なるファッションとして・・・」というかもしれないが、霊的世界の存在はそれを放置しない。

サタン崇拝の真似ごとをした人々を利用して、さらに過激なことをやらせようとする。

いろいろなアイデアを与えて、ヒットさえ、悪魔の影響を拡大するために資金も人材も提供する。

霊的世界を利用しようとする人間は、その霊的世界に利用され、どうしようもないくらいにこき使われる。

そして最後、利用する意味がなくなったら殺す。

霊的世界の存在の知恵と力は、現象世界の存在をはるかに凌駕しているので抵抗することはできない。

唯一抵抗する手段は、その霊的存在よりも強い霊的存在に頼ることである。

つまり、サタンに対抗するには神に祈るしかない。

遊びであってもサタンに属することを利用してはならないのはこういう理由からだ。

誰でも為政者が宗教者を利用したり、攻撃すると、霊的存在は、その為政者に復讐する。

「現象世界の存在が、霊的存在にたてつくな」と。

信長は僧侶を殺害したが、最後、本能寺という宗教施設で殺される。

ウジヤ王は、祭司以外に行ってはならない祭儀を行ったためにらい病になった。

天が上で、地が下なのである。

霊的存在は、現象的存在を「地上のもの」として低く見ている。

現象世界の存在である為政者が、霊的世界との取次を行う祭司を侮辱することは、創造秩序を犯すことになる。

どの地域に行っても僧侶や司祭、祭司、牧師、伝道師などが尊称されるのは、それをしないと、ろくなことが起きないからなのだ。

そういう体験をすべての文化が経験してきた。

聖書では、どんなにろくでもない親でも、親に暴力をふるったり、侮辱するような子は、処刑の対象になる。

なぜか。

それが創造の秩序だから。

預言者エリシャに対して「禿げ頭よ、上れ」とはやしたて、無礼を働いた子供たちは、その場に熊が現れ、殺された。

どの世界でも、宗教家への無礼は、必ず自分に跳ね返る。

神的文化では、このような秩序への自覚が鋭くなる。

だから、冒涜罪を重く受け取る。

 

 

2015年1月22日



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