6+1の原則


(1)
日本をキリスト教国にすることはできるか。

できる。

なぜか。

これが答えだ。

「天地においてイエス・キリストに一切の権威が与えられているから。」

「イエス・キリストはわれわれといつもともにいてくださるから。」

大宣教命令は、この2つの保証の上に成立する。

イエスは、「行って、すべての国民をわたしの弟子にしなさい」と言われた。

だから、すべての国民はイエス・キリストの弟子になる。

宇宙の最高権力者がそのように保証して、誰が反対できるだろうか。

この世界は、ことごとくイエス・キリストの御国に変わる。

これは絶対の約束である。

(2)


私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」(使徒26・14)

サウロとは、パウロのことである。

パウロは、迫害者だった。

クリスチャンを迫害していたが、ダマスカスへの途上でイエス・キリストに出会った。

迫害とは、「とげのついた棒をける」ことである。

クリスチャンを迫害し、苦しめる人間は、とげのついた棒をけっている。

クリスチャンを迫害して、無傷な人間はいない。

神の国の拡大、日本の弟子化に反対するならば、己を傷つける。

ユーチューブの書き込みで、アメリカ人から反キリスト的な発言をよく聞く。

神への憎しみに満ちた人間がいる。

それで、アメリカはどうなったか。

国境が破壊されている。

不法移民がどんどん流入し、中産階級は消滅し、みんな貧乏になった。

アメリカという国自体が破産の縁にいる。

およそキリストに逆らい、クリスチャンを攻撃して幸福になれる人間などいない。

必ず、報いがやってくる。

とげのついた棒をけりまくって、血だらけになってもまだやめないのは、馬鹿である。

私は、ネット上でこちらを攻撃する人々については反論しない。

なぜならば、必ず報いがくるから。

私がやらなくても、神がやる。

クリスチャンを攻撃し、聖書を批判し、神の国を妨害する人々は、必ず何度か警告があるはずだ。

その警告は徐々に大きくなる。

それでもやめなければ、もう終わりだ。

突然滅びる。

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」(ローマ12・19)

私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」、また、「主がその民をさばかれる」と言われる方を知っています。(ヘブル10・30)

絶対に復讐してはならない。

なぜならば、神の出番がなくなるから。

自分なりの復讐をしてしまえば、自己満足に終わり、本当の裁きが延期される。

われわれが求めなければならないのは、本当の裁きである。

うっぷん晴らしではない。

本当の裁きとは、神の国が前進するためのものである。

だから、迫害者に対する裁きを通じて、神の義が実現する。

われわれは、「6+1の原則」を守るべきだ。

6+1の原則とは、6日働いて1日休め、という戒めである。

6日間は自分の手で労働する。

しかし、最後の1日は神にお任せする1日として残さねばならない。

そうしないと、仕事が完成しない。

人間が7日全部やろうとするとすべておかしくなる。

6日間は全力投球してもいい。

しかし、1日は休む。

そして、その日に神が裁きを行ってくださる。

6日働かなければ、最後の1日に神は働かれない。

「人事を尽くして天命を待て」である。

だから、結果はどうでもいい。

アメリカが侵略してきた。それに対して日本は全力で防衛した。

しかし、負けた。

それが神の回答だ。

それでいい。

結果どうなったか。

アメリカよりも豊かな国になった。

対外純資産連続21年間世界一位である。

最後に笑えばいい。

最後に笑うためには、怒りにまかせて復讐してはならない。

最後まで自分でやろうとするからフラストレーションがたまる。

自分が手を出してかえって糸がこんがらかったら、放置するのだ。

そうすれば、神がそれを奇跡的にほどいてくださる。

最後の一日を残せるかどうか。

本当に建設的な生き方はこの原則を守れるかどうかにかかっている。

 

 

2013年10月14日



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