中世において、スペインのかなりの部分がイスラム教の支配下にあった。アラブ支配下のキリスト教徒のスペイン人たちは、たびたび深刻な困難に直面したが、彼らの信仰は「自分たちは統治に召されている」との意識に支配されていた。
教会での彼らの礼拝手順は、モザラビック・ライトという名で知られ、数年前にトレドの大聖堂のあるチャペルで行われていた。すべての礼拝時に、牧師が詩編2篇7‐8節の2節を宣言した。
主はわたしに言われた。あなたは私の子、今日、私があなたを生んだ。私に求めよ。そうすれば、私はあなたに異教徒を相続財産として与える。また、地の果て果てまであなたに与える。
主は、弟子たちに「全世界に出て行って、すべての人と民族を私の支配下に置き、私に使えるように整えよ」との大宣教命令(マタイ28:18-20)を与えられたが、この中において主が念頭に置かれたのがこれらの言葉であった。
私たちはキリストにあって勝利に召されたので(1ヨハネ5・4)、その召しを回避しない。全世界はイエス・キリストを主及び救い主として知る必要がある。彼の支配は、私たちから始まらなければならない。私たちは、主によって完全なる命令を受け、完全に服従し、万事において主に忠実でなければならない。
世界はキリストのために征服されるべきである。主にとってあまりにも強大で太刀打ちできないパワーや、征服できない悪、あまりにも高すぎて登れない障壁など存在しない。
私たちは、自らの快楽を満たすために召されたのではなく、主に仕えるために召された。私たちは、次々と災害が起きる世界に生きているため、危機が迫っているという事実に対して無関心であってはならない。この世界は、キリストがいなければまったく希望がない。私たちがキリストの統治命令を果たすことに失敗すれば、私たちも裁きの中に巻き込まれるだろう。