永遠の祝福にあずかる人として生まれてきたことに感謝しよう



わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。(マタイ10・34)

ヴァン・ティルはデモリション・マン(破壊者)と呼ばれていた。

ヒューマニズム思想を一つ一つ破壊していった。

本人にはそのような意識はなかったようだ。

自分でどれだけすごいことをしたか自覚がなかったといわれている。

カントが「水も漏らさぬ」ヒューマニズム世界観を作ったように、ヴァン・ティルも同じく「水も漏らさぬ」有神的世界観を作った。

クリスチャンは、大なり小なり例外なく「破壊者」である。

妥協しなければ、接触する相手の運命は両極端に分かれる。

賛同者ならば救われ、反対者なら破壊される。

クリスチャンは、それまで灰色だった世界を、白か黒かに塗り分ける。

残念ながら、私と論争した人たちは、例外なく破壊された。

著名な牧師たちが、私との論争を通じて、自分の墓穴を掘った。

私は、福音派や長老派で、嫌われるようになったが、そんなことはどうでもいい。

ある教団では「再建主義」と聞いただけで、拒絶反応が起きるそうだ。

拒絶すればするほど、墓穴を掘るのにもかかわらず、頑固に自説を曲げない。

私は、聖書的な教えを唱えているから、結局、彼らは神に捨てられる運命にある。

正しい道を捨てる者にはきびしい懲らしめがあり、叱責を憎む者は死に至る。(箴言15・10)

進化論者と論争をすれば、常に彼らは破壊される。

論争を通じて自らの学説に致命的な欠陥があることが露呈する。

私は確実に相手を破壊するウェポンの開発をしてきた。

打ち合いの時点では、影響はないように見えるが、こちらの打撃は、相手の急所を突いているので、じわじわと効いてくる。

有名な漫画ではないが「おまえは、すでに死んでいる」の状態になる。

真理というのは、恐ろしいものである。

聖書では、あらゆるものを刺し通す剣である。

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブル4・12)

…御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。(エペ6・17)

御言葉が語られて、安全でいられる人など一人もいない。

御言葉に基づく教理にも同じ力がある。

2.

アメリカのクリスチャンが「聖書からものを言うと相手に不快感を与えるから注意しないといけない」というのを聞いたときに、アメリカのキリスト教はおかしくなったと思った。

聖書の言葉に不快を感じて去っていく人は、神の選びの中にないか、もしくは、今は受け入れる状態にないかのどちらかであり、神の選びの中にいない人の場合には、われわれが何を言っても絶対に救われない。

機嫌を取る必要などまったくない。

できるだけ相手の気持ちになって考える必要はあるが、過剰な心配や配慮、ご機嫌取りは不要である。

サタン側は竹やりで戦い、われわれは戦車で戦う。

御言葉をかかげて進めば進むだけ神の国は広がる。

一時的に後退するように見えても、必ず前進している。

反対者は、気の毒だが、神の国に逆らえば逆らうほど、神の呪いをこうむり、何をやっても祝福されなくなる。

病気や災害が襲いかかり、悲惨な人生を送る。

われわれは相手が救われてほしいと思っているのだが、救いを拒むならば、自滅せざるをえない。

…人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」(マルコ14・21)

この世には「生まれなかったほうがよかった」人がいる。

イエスを裏切るような人である。

一度クリスチャンになって、すべてを熟知したうえで、キリストを捨てるならば、セカンドチャンスはない。

一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、
神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、
しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。(ヘブル6・4-6)

生まれたことそのものが呪いであるような人生。

それが神の国に逆らう人生である。

われわれは、幸い、神の国のために働くように召された。

3.

人は永遠の昔に、神によって「祝福される運命にある人」と「呪われる運命にある人」に分けられた。

これは、われわれの決定ではなく、神の決定である。

生きている年数を積み重ねれば積み重ねるほど、人には歩むべき道が定められており、それ以外の道を選択することができないと感じるようになる。

自分には選択肢が多いように見えるが、実は一つしかない。

人は自分に定められた場所に最後には落ち着く。

歌手になるように定められた人は、どう転んでも歌手になる。

歌手にならないで普通の仕事をするように定められた人は、どんなに歌がうまくても歌手にはなれない。

歌手だから偉くて、普通の仕事はそうではないということはまったくない。

それぞれが召されているのである。

私は幸いなことに、イルミナティを破壊する役目を負って生まれてきたと考えている。

神の国のために働くように導かれている人は幸いである。

永遠の祝福にあずかる人として生まれてきたことに感謝しよう。

 

 

2016年1月21日



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