自分のいのちを救おうと思う者はそれを失う


再建主義を信じていた昔の友人がホイホイとN・T・ライト、フェデラル・ヴィジョンに騙されるのを見ると、「小市民的な幸福」を優先しているようではキリスト教はやっていけないと感じる。

教会の人間関係が大事?

牧師にどこまでもついて行きます?

牧師の世話になってきたから?

長年の教会生活になれているから?

この年になって、立場を変えられない?


自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。(ルカ14・27)

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(マタイ16・24)

そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。(ルカ14・33)

イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。(マルコ10・29-30)

また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、{妻、}子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。(マタイ19・29)

結局、全部捨てられなければ、自分の一番大切なもの「永遠のいのち」を失うのだ。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。(ルカ9・24)

 

 

2015年10月29日



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