聖書的キリスト教以外に自由と自然を両立させる思想は存在しない
>1) コンピュータの誤作動といった事象に 悪魔や悪霊が関与する可能性について
>たまに経験することですが、パソコンがここぞという時にクラッシュすることがあり、悪霊が関与しているのではと考えることがあります。
>(機械論的世界観であればそのようなことは全くないと言い切れるでしょうが)
何度か同じ経験があります。
また、掲示板がなぜか開かなくなったときに、ある方が祈って、開くようになったこともあります。
サタンは、重要な情報が伝わることを嫌っているのは明らかで、掲示板に書き込みするのを苦々しく思っていると感じることがあります。
その場合でも、躊躇なく掲示することにしています。
>2)人工知能の背後で悪魔や悪霊が働く可能性について
>もし 上記の 1)が可能性としてあり得るのであれば、
>変な表現ですが 人工知能に悪魔や悪霊が憑依する ということはあり得るのか とういことです。
>人工知能は人格を持ちませんが、悪魔や悪霊がこれを動かすことはあり得るのかどうか。
これについてはまだはっきりとはわかりませんが、可能性としてはあるかもしれません。
悪霊は、機械を操作することができるようです。
1996年にこの活動を開始したときに、Onward Christian Soldiersという歌をエンドレステープに録音して常に流していた同労者が、突然テープが空回りし、からまって使用不可能になりました。明らかに悪霊の仕業と思います。
その方の事務所では、物体が不自然に移動することがよくありました。
壁にかけてあった寒暖計が水平に飛んだり、同じく壁にかけてあった中華鍋が尋常じゃない音を立てて落ちたり、テーブルの奥に置いてあった箸立てが見ているうちにずるずると移動して落ちたり。人形の目が光ったり。
私の場合、オーディオセットが勝手にON/OFFを何度も繰り返すという現象が起きました。
私の知人には、不思議な写真をよく撮る人がいます。
実家の最寄りの駅前にある山を撮ったところ、クレーンのような巨大な腕が空に高く伸びているところが写っていたり。
これは、つまり、悪霊がデジカメを操作することができるということだと思います。
>機械論的世界観であればそのようなことはないということになりますが、実際に悪魔や悪霊が自然界の被造物に作用する事象は存在するので、このようなことが、少し気にかかっております。
機械論的世界観では霊的な現象を説明できず、そのため、「神の超自然的介入」を期待できなくなります。物質は物理学的・化学的作用によってのみ変化し、これらの法則に絶対的に従うということが真理であれば、「祈っても無駄だ」ということになり、人間から希望を奪います。
弱肉強食以外にはこの世界に働いている法はないので、世界の超金持ちたちが現在行っている陰謀を阻止することはできないとなります。
結局、「自由対自然」のヒューマニズム思想の二元論から抜け出すことができず、自由を主張すると非科学的・神秘主義的になり、自然を主張すると自然の法則によるがんじがらめの拘束・祈りの無力になり、絶望以外ないということになってしまいます。
これは、19世紀の観念論・ロマン主義対実証主義の対立となって表れ、観念論・ロマン主義が強すぎて学界を支配すると、実証的研究がおろそかになり、科学が宗教のようになり、教条主義がはびこるが、逆に、実証主義が強くなりすぎると、あらゆる演繹的思索が否定されるので、ごく狭い範囲のことしか探究できず、不可知論に陥り、人間は世界観を作ることができなくなります。
私は、聖書の考え方は、「神は自然法則を統治の道具として定められた」であると考えています。
神が自然の主であるので、神の一存で自然法則を止め、手動で世界を動かすことがあると。
この考え方だと、自然法則に絶対的に縛られることも、自然法則を無視して神秘主義に走る必要もなくなります。
聖書的キリスト教以外に、自由と自然を両立させる思想は存在しないと思います。
2016年3月24日
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