まずクリスチャンが潤うべきである



一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となっていた。 (創世記2・10)

エデン山頂に降った雨は、一本の川となり、エデンの園に集中的に流れ、園を潤し、そこから4つの川が流れていた。

エデンの園とは、神と契約を結んだ人、つまり、クリスチャンの居場所なので、クリスチャンを象徴する。

それゆえ、この個所は「神からの祝福は、まずクリスチャンに集中し、クリスチャンを潤し、それから世界に流れなければならない」と教えていると解釈できる。

今のように、クリスチャンを経由しないで川が世界に流れる体制は、悪魔の勢力を拡大させる。

具体的に見ると:

「一つの川」は、クリスチャンのもとに世界の権力と富は集中すべきであることを示している。

「この園を潤すため」は、その権力と富がクリスチャンをまず潤さねばならないということを示している。

クリスチャンがまず豊かな潤いの生活を送るべきである。

クリスチャンは清貧を重んじるべきだという考えがあるが違う。

神の祝福は、第一義的に、クリスチャンを潤すために存在する。

ノンクリスチャンは、クリスチャンを潤した残りの水によって潤される。

世界の正常な姿とは、

1.まずクリスチャンが経済的に豊かな生活をし、権力を手に入れ、

2.その祝福された経済的・政治的状態から生じる恩恵が、ノンクリスチャンに分与される

というものである。クリスチャンに清貧を説く教えは、聖書的ではなく、クリスチャンから力を奪おうとするサタンの騙しである。

われわれは、神の祝福の独占を祈るべきである。

そして、われわれを通じて、神の祝福が「選択的に」世界に及ぶように祈るべきである。

聖書的クリスチャンの手を経由せずに世界に祝福が流れることによって、邪悪な政治家や政府、国家、会社、団体、個人が裕福になる可能性が高まる。これは神の御心ではない。

 

 

2016年10月19日



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