紀元70年以前に完結した話をそれ以降の歴史に適用してはならない6


テサロニケ第一4:16-17
「キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 4:17それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。」

「神の国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」という聖句がここに実現しました。

AD70年に地上で生きているクリスチャンは大勢いたわけで、その大勢の人たちが一斉に天に引き上げられて、以降ずっとキリストと共にいた。

そんなはずはありません。クリスチャン全員がいなくなったらその後に福音を伝える人はいません。あのレフトビハインドみたいなことになってしまいます。

パウロは第三の天まで昇った経験があると言っていましたから(私はこれを麻原の空中浮揚のようなものではなく、文字通り起こった出来事であると信じます。脳内体験だったというならだれにでも言えるし、まさにジョークです)、携挙されたクリスチャンはパウロと同じように昇天して、またすぐに地上に戻ってきたのでしょうか?

ですが、聖書にはそう書かれていません。「空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。」彼らが速攻で地上に戻ってきたと考えることは聖書信仰に反すると思います。
1世紀に上記の御言葉が成就したと信じる以上、聖書に反しない何らかのシナリオが必要です。

聖書信仰に反しないかたちで、たとえばどんなシナリオが考えられるでしょうか。ご賢察をお聞かせいただけましたら幸いです。

これは何年か前にブログで発表したのですが、聖書には「全員が携挙された」とは記されていません。

もちろんテサロニケのクリスチャンは携挙されたでしょう。しかし、他のクリスチャンがどうなったのかは記されていません。

むしろ、大多数のクリスチャンは、宣教のために残されたと思います。

なぜならば、新約時代におけるクリスチャンの役割は、昇天することにあったのではなく、「大宣教命令」つまり「全民族弟子化命令」の成就のために召されているからです。

 

 

2020年9月22日



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