恐怖症を克服するには2
人がよくて、他人が語ったことを素直に受け入れる人は、悪霊にやられやすい。
私は以前、謙遜を誤解していました。
他人が私を批判する言葉をすべて「はい、そのとおりです。」というのが謙遜だと考えていました。
すると、どうなるかというと、悪霊の総攻撃にあいます。
「そうだ。お前はダメなやつだ。反省しろ。」と責めてきます。
自分の心の中で「俺はだめだ」と考え始めると、心の城塞は崩されたも同然。
心は悪霊の遊園地になります。
いろんな霊が入っては出て、入っては出てを繰り返す。
次第に自分の人格が消えていく。
自己否定がいいとか教えられましたが、自分を否定するような言葉は、自分が強くないと致命傷になる。
自分に力がついてはじめて、重たい荷物を担げる。
弱いうちにそんなものを受けたら背骨を痛める。
神にあって自信を十分に蓄えてからでなければ、人の批判を素直に受け入れるなんてことはできない。
自分にとって「この批判的な人は酷だなあ」と感じたら、離れる。
自分に対して批判の機銃掃射を浴びせる人がいたら、別れる。
それでも追ってきたら、こちらも機銃掃射を浴びせる。
十分に頑丈な要塞の中にいない人がどうしてそんな攻撃にたえられますか。
クリスチャンは素直に批判を受け入れるべきだ?
それは信仰が盤石になってから。
人がいいと、なんでも吸収し、「あの人の言うことも一理あるなあ」なんて考えて、知らないうちに大けがを負っている。
たとえば、「〇〇君、君は無能なんだよ」という人がいたら、絶対に「はい。無能です。」とか「自分は無能なのかなあ?」なんて考えたらだめ。
相手がババのカードを引かせようとしてきたら(自分がトラウマを抱えるような状況を作り出そうとしているなら)、そのババをその相手に引かせる。
相手の背後にサタンがいて、こちらに傷を負わせようとしているのがこの世ですから。
素直にはいはい言っていると、サタンの策略に乗せられて精神的にダメージを受けることになる。
なんでも素直に受け入れる人には、「人がいいのもいい加減にしろ!この世はジャングルなんだぞ!」と言いたい。
2014年7月17日
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