生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです
私のところに来て、残念ながらもとの木阿弥になってしまった人々がいる。
とくに霊的な問題を持っている人の場合には、最後は悲惨である。
われわれは、霊的な戦いの中にいるということを理解していただきたい。
少しでも隙ができると、そこからサタンが入って、考え方を変える。
聖書から少しでも離れたり、矛盾したことを考えたりすると、そこでサタンがつけ入る隙ができる。
最初は、こちらのほうが合理的で聖書的に思えるということで、そちらに入っていくと、最後には、めちゃくちゃにされる。
聖書信仰を失って、いったい誰が支えてくれるのだろうか。
イエスを信じることができなくなって、いったい誰があなたの支えになるのか。
だから、私は、絶対に非聖書的な考えを持ち込まない。
聖書を究極の権威とするならば、それに頼る人が失敗することなどありえない。
神が支えてくださるからだ。
しかし、傲慢になって、聖書と矛盾するようなことを堂々と主張し始めるならば、そこで神の支援を拒否するのだから、最後は悲惨である。
サタンに蹴り回される。
われわれは、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる。
信仰を失ったら、即死である。
このように言ってもなお、こちらに来ないのであれば、もうつける薬はない。
頑固な人は、さらに頑固にされる。
そして、もう戻れなくなる。
私が、自分の主張を繰り返すのも、限度がある。
それに対して有効な反論を試みるならまだしも、一方的な邪推、非論理によって攻撃するならば、私は神に委ねる。
神は、私の手から離れたそれらの人々を、サタンに渡される。
傲慢で悔い改めない心がどれほど恐ろしいか。
生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。(ヘブル10・31)
2015年5月17日
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