神の法と自然法
O様:newspaper exegesisですね
黙示録の講解説教が、五島勉のノストラダムス大予言の話になる
そうです。ノストラダムス。
しかし、黙示録は、19章まではすでに紀元70年に起きている。
厳密に解釈すると。
この誤解を正すのは容易ではない。
染み付いていますから。
14万4千人はこれから集められるなんていう。
聖書はイスラエルの終末についていっている。
世界の終末ではないのです。
世界の終末になってしまったのは、フリーメイソンの解釈でしょう。
フリーメイソンは、「イエスではダメだった。何も成就しなかった。ニュー・ワールド・オーダーはこれからやってくる」という考えです。
これは、統一協会の考え方です。
つまり、「イエスは失敗した」という。
「だから、文鮮明様が登場しなければならない」
新興宗教の考えの基本は、「イエス・キリストは失敗した」です。
聖書は、「イエス・キリストによってすべて成就した」です。
サタンは、イエスのほかに救い主を出そうとする。
イエスから目をそらさせて、ほかの救いを模索するように仕向ける。
新約時代では足りない。ニュー・ワールド・オーダー。
これは、ニューエイジの考えでもある。
だから、こういうことです。
フリーメイソン=ニューエイジ=ニュー・ワールド・オーダー=再臨待望
再臨待望だからイエス・キリストを待っているかというとそうではない。
再臨によってやってくるイエスは、イエスではない。
なぜならば、ディスペンセーショナリズムの「再臨のイエス」とは「紀元70年において何も達成しなかったイエス」だから。
紀元70年においてイエスがすべて成就された、ということを理解しないと正しい理解にはいたらない。
そういう意味では、ディスペンセーショナリズムにとって「聖書は未完の書」なのです。
ディスペンセーショナリズムは、新興宗教。
今のクリスチャンは、「紀元70年のイエスではだめだった。」と考えている。
つまり、「サタンが用意した代替案。代替のメシア」を受け入れる素地がある。
ということは、今のクリスチャンは、異端思想の持ち主ということになります。
そうです。
しかし、聖書のどこにも「新エルサレムになったら問題は何もない。戦争も災害もない」なんて書いてないです。
むしろ、「戦い」です。
20章のはじめにサタンは縛られた。
縛られたサタンとの戦いがはじまった。
教会はサタンと戦いながら、領土を拡大する。
そして最終的に世界をエデンの園化する。
そうです。
「地を従えよ」という命令をイエスは成就された。紀元70年において、このアダムに与えられた命令は完全成就した。
しかし、それは法的に、である。
地上の支配権がキリストに移った。
しかし、実際の支配権はまだサタンにある。
それを、教会が奪い取って実際的な支配権を確立する過程が、新約時代です。
そうですね。
だから、当然、「可能性思考」になる。
すでに奪った土地を奪えないはずがない。
敵は縛られている。
しかも、われわれの背後にはキリストがおられる。
そうです。
何重にも武装している。
だから、クリスチャンには敵はいない。
それを、フリーメイソンはしきりに隠そうとした。
聖書まで改ざんして。
クリスチャンに「まだ世界はキリストのものではない。法的にも。」と。
いや、むしろ「世界はサタンのものだから、やってもムダだ」と。
そうです。
これは、ゲイリー・ノースが長老教会に関して詳しく説明しています。
長老教会がいかに教理的に堕落させられたか。
サタンの世界統一宗教建設の働きは19、20世紀を通じて進みました。
背後に、ロックフェラーなどの資産家がいた。
カネで買収してそういう学者を使って様々な機関を奪っていった。
大学、教会、教育機関
今は、床下を開けたら、シロアリがたくさんいた、という段階です。次は、殺虫剤をまく。
そうですね。こうやって世界のキリスト教圏はつぶされていった。
もはやイギリスもアメリカもだめ。
ドイツなんてもっとだめ。
世界中が、イルミナティ・フリーメイソンにやられた。
とくにビートルズ以降がひどいです。
ビートルズは、イルミナティの機関です。
ニューエイジを広めた。
そうです。
フランス革命の権利章典だったかの扉絵に三角形と目があるそうです。
人権宣言でした。
権利章典は名誉革命。
http://kuwabara03.blogspot.com/2008/08/1_05.html
そうでしょうね。
学校教育は、基本的にルネサンス礼賛です。
つまり、サタン側を賛美する。
ルネサンス→フランス革命→アメリカ革命→ロシア革命→文化大革命→ポルポト大虐殺
ルネサンスをたどると、ギリシア・ローマ。
古典主義ですから。
イエスやパウロと対抗していたギリシアやローマを賛美する。
つまり、サタン側を賛美する。
学校教育がサタンの教育であることが分かります。
こんな人々といっしょに教育を受けるっておかしいでしょう。
価値観がまったく違う。
それは正しい。
そうです。これが異邦人神学の限界かも。
基本として、自然法です。
自然主義。
つまり、自然秩序が神の前にあった。
自然が究極。
マザー・アース。
母なる自然。
マリア崇拝。
神よりもマリア。
自然万歳。
神の法は邪魔。
そうです。
そうです。
今の、自然保護運動ってのは、この異教からきている。
鯨を守れ!
鯨を殺す日本人を皆殺しにしろ。
神の法がない。
神の法よりも、自然法。
価値観の転倒。
倒錯。
同性愛。
ボヘミアン・クラブ=同性愛=大地賛美=モロク礼拝
フクロウがシンボル。
マリア=フクロウ
自然法の行き着く先は、ホモセクシャル。
モロク礼拝。
だから、一本のラインで結ぶことができます。
ギリシア古典主義→ルネサンス→フランス革命→ロシア革命→ボヘミアン・クラブ→モロク崇拝
古代から流れは変わっていない。
ニムロデ→バアル→パリサイ人→ユダヤ教
アブラハム→エリヤ→イエス→聖書的キリスト教
どちらか。
中間はない。
ローマ・カトリックは、徐々にギリシャ化が進んで、ついにトマス・アキナスにおいてギリシャ教キリスト派になった。
その堕落が頂点に達してルターが登場。
カルヴァンが続く。
しかし、カルヴァン派の中にまたもやギリシャが入った。
それが、アルミニウス主義。
半ペラギウス主義。
アルミニウス主義の末裔が、今の福音派。
だから、カルヴァンが嫌い。
カルヴァンやピューリタンが嫌いなのは、神が嫌いだから。
そうです。
その証拠に、彼らは神の法が大嫌い。
自然法がすき。
学問の自律がすき。
結局、メンタリティとしては、ノンクリスチャン。
神に縛られたくない。
契約の民ではないです。
そうですね。
偶像礼拝です。
母なるものをマリアに求める。
イスラエルに対して神はそのような「母」を提供しなかった。
代わりに何を提供したかというと、犠牲の小羊。
つまり、「謝る」ことだけが唯一の解決とした。
償いですね。
それだけ。
だから、マリア的な解決法、つまり、「非契約的」「非法的」解決法はなかった。
そうです。
そうです。
10の穴をあけたら、10の埋め合わせが必要。
「なかったことにして」というのはない。
そうです。
だから、それを回避する手段としてマリアを出してきたところに堕落があった。
自然法の支配するヨーロッパのキリスト教は、それゆえ非契約的。
情実的。
そして免罪符
だから、祝福されない。
そうです。
行為義認になる。
これって、異端です。
キリストによらない解決。
だから、マザーテレサなんてものは、目くらましなんです。
「教理、神学とかいって、何もしていないじゃないですか」的な。
イエス・キリスト以外に道を作る。
「寛容」ってのは注意が必要です。
そうです。
2011年4月17日
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