安息日を特定の日に限定するのは非聖書的である


安息日は、イエスにおいて成就しました。


「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 」(マタイ11・28)

イエスは、旧約律法を成就するために来られたので、イエスにあって私たちはすでに安息日を守っています。

そして、イエスは「天地のいっさいを神と和解させた」(コロサイ1・20)ので、現在、「特定の聖地」なるものは存在しません。あらゆる土地が「聖地」です。

「特定の聖なる食べ物」は存在せず、現在、あらゆる食べ物は「 聖なる食べ物 」です。

旧約時代には、豚は汚れているとされていましたが、新約時代において聖なる食べ物です。

「主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。 」 (ローマ14・14)

ですから、酒やタバコを忌避するのは、非聖書的であり、それは「」

同様に「特定の聖日」なるものは存在しません。毎日が聖日です。

ですから、月曜日であろうが火曜日であろうが、すべて安息日であり、聖日です。

新約時代における原則は「ものそのものに聖俗はない」ということであり、ただ「動機によって聖にもなるし俗にもなる」ということです。

「主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。」(ローマ14・14)

「もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、 『すがるな。味わうな。さわるな』というような定めに縛られるのですか。 そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。」(コロサイ2・20-22)

安息日を特定の日に限定し、他の日を俗なるものとし、酒やタバコを汚れた食物とし、その他を許可するような教えは「『すがるな。味わうな。さわるな』というような定め」であり、「人間の戒めと教え」なのです。

 

 

2018年9月17日



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