人に恨まれたならできるだけ早く和解せよ
だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、
供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。
あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。
まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。(マタイ5・23-26)
「まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」
兄弟、すなわち、契約に属する者同士は、互いに和解していなければならない。
もちろん、和解の努力をしても相手がはねつけるならば不可能だが。
その場合、こちら側か、向こう側に、裁きの直前に見られる頑固さがあることが多い。
つまり、いずれか一方が頑固になって悔い改めを拒否しているため、和解ができないという場合である。
この場合、もはや話し合いができないのであるから、神の裁定を待つ以外にはない。
様々な形で裁きは下るだろう。
教会が大分裂するとか、様々な致命的な問題が起きるとか。(ただし、大分裂とか致命的問題、病気、死が、ことごとく神の裁きであるとは断定できない。人間に起こる現象の解釈は一通りではない。)
こういう裁きの直前の状況は、ノンクリスチャンの中にもみられる。
中国の尖閣に関する態度は、話し合いの段階を超えている。
事実を捻じ曲げ、ねつ造すらして、人の領土を取りたいと願っている。
こうなったら、残るは、神による直接的裁きである。
すでに国内でも海外でも、傍若無人、やりたい放題。世界中で中国人は嫌われている。
国家が国民を虐待し、殺人を犯している。
チベットでは、あまりの悪政に、焼身自殺者が50人を超えた。
末期的症状である。
私の短い人生の中でも、末期的段階の組織や人に何度か出くわした。
いろんな人が忠告しても、あまりに傲慢なので、言うことを聞かない、というより、聞けない。
「殿ご乱心」の状況になる。やってはならないことを思い切ってやる。見苦しいことでもやる。
正しい意見か間違った意見か判別できない。
このような状況になったら、できるだけ早く抜けることである。
離れること。
イエスは、「足のチリを払って出なさい」と言われた。
「内部を改革してやろう」なんて考える必要はない。
いくら聖書に基づいて忠告しても聞かないなら、離れることだ。
さて、このような和解ができない相手でなければ、和解すべきだ。
和解がない状態で礼拝しても、礼拝にならない。
そこで罪の悔い改めをしても、悔い改めにならない。
だから、そういう礼拝では、神との交わりは不可能なので、罪が残る。
罪が残り、積もるならば、裁きも近づく。
対人関係の乱れは、対神関係を損なう。
「あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。」
できる限りの努力をして、自分を訴える人と和解すべきだ。
「そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。」
対人関係の乱れは、対社会関係も乱す。
われわれは、人の感情に敏感であるべきだ。
人に恨まれてはならない。
恨みは、対神関係と対社会関係を乱し、自分の生活全体を破壊する。
ただし、中国や韓国のように、事実をつきつけても和解しようとせず、嘘を吹聴し、冤罪を作り上げてでも日本を貶めようとする場合は、もはやわれわれに打つ手はない。
神の裁きを待つしかない。
2012年10月30日
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