信仰者だけ救うなんてケチくさい?
日本人には、「信仰者だけ救うのはおかしい。ケチくさい」という人がいる。
ケチでもなんでもない。
聖書が示す救いとは、たとえて言えば、こういうものだ。
ある会社の社長が、ある人に命令して、バスを運転して目的地に行けと言った。
しかし、彼には大型2種の運転免許がない。
そこで、試験を受けたが失敗した。
そこで社長は、代わりの人を用意して、試験を受けさせ、合格した。
失敗した彼は、その人が運転するバスに乗って目的地に着いた。
この会社の社長はケチだろうか。
バスに乗るのは無料である。
ケチという場合、バスに乗るときに運賃を払うとか代償を求める場合である。
神は、アダムが失敗した試験にキリストを合格させ、しかもアダムの失敗のしりぬぐいを彼にさせた。
アダムに属する人々は、ただキリストを信じるだけで救われる。
これを非難する人は、ケチだからではなく、その会社の社長が気に食わないだけだ。
まともな人は、素直にバスに乗る。
2014年3月19日
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